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 長年連載してきた「ホンダF1甘口コラム」「ホンダF1辛口コラム」の「辛口」パートの執筆者ニック・リチャーズ氏が、F1の政治問題をテーマにするコラムをスタート。独自のシニカルな視点で時事に切り込む。

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 楽園のようなイギリスの片田舎でのんびりした時間を過ごしていた時、2023年F1スプリントレースの開催数を倍増するというプランに、FIAが拒否権を発動したと聞いて、私は椅子から転げ落ちそうになった。

 FIA会長が、商業権保有者の意向に背いたのを見たのは、1990年代初頭以来のことだ。当時はジャン-マリー・バレストルとバーニー・エクレストンが時たま衝突していた。それ以降、そういう状況にお目にかかることはなかったが、約30年たった今、モハメド・ビン・スライエムFIA会長が、ステファノ・ドメニカリF1 CEOの計画にストップをかけたのだ。これには本当に驚いた。

 ロンドンで行われたその会議に出席したある人物から聞いたところによると、いつもは陽気なドメニカリが、自分の提案にFIA会長が反対票を投じたことにショックを受けて、困惑した表情のまま、しばらく言葉を失っていたという。

 現在もF1界で現役で働いている友人たちは、ドメニカリはビン・スライエムFIA会長への事前の働きかけを怠り、チーム代表10人の支持を得ることだけを考えていたのだと話してくれた。ビン・スライエム会長が無条件に自分の要望を受け入れてくれるという甘い考えを持っていたのだ。

 ドメニカリは、ビン・スライエムを、昔馴染みの元FIA会長ジャン・トッドと同じように考えていたのだろう。トッドはモーターレーシングでの出来事には興味がなく、交通安全推進のために世界中を飛び回り、その活動のために国連で上級職を得ることばかりを考えていた。

 バレストルはモーターレーシングのファンで、FIAの活動のなかでロードカーの分野には全く関心を持たなかった。マックス・モズレーはスポーツと自動車業界両方の完全支配を目指していた。そしてトッドは今は亡きバレストルとは真逆の方向に行き、かつての仲間であるロス・ブラウンとドメニカリがF1界に戻ってくると、グランプリの支配を彼らに譲り渡してしまった。

 F1とFIAが妥協点を見出し、今後3年から5年のなかでこのお粗末なスプリントレースの回数が大幅に増え、FIAの財源に多額の資金が注ぎ込まれるのは間違いないだろう。だが、ビン・スライエムには感服する。「脱帽だ」と言うほかない。就任早々に自分のポジションの基礎固めをし、ドメニカリたちに対し、F1の運営方法を大きく変更する際には、投票前に必ず自分の意向を確かめなければならないのだというメッセージを明確に突きつけたのだ。

FIA会長モハメド・ビン・スライエム
FIA会長モハメド・ビン・スライエム

 さて、スプリントレースについては、ドライバー、エンジニア、メカニックなど関係者が公然とその方式への反対意見を表明している。2022年シーズンは、9カ月のなかにグランプリ23回、テスト7日間が詰め込まれた過密スケジュールとなっている。しかもグランプリウイークエンドが3日間に短縮されたことで、それでなくても金曜はF1関係者にとってほとんど悪夢だ。スプリント方式になると負担がさらに増える。それではなぜチームはスプリントレースをしたがるのか。理由はひとつしかない。利益が欲しいからだ。

 ドメニカリ自身もそうだが、現在F1にいる10人のチーム代表のうち9人は、自分自身がビジネスを所有しているわけではない。唯一の例外はトト・ウォルフで、彼はメルセデスF1チームの3分の1の株式を所有している。アストンマーティンについては、オーナーのローレンス・ストロールは、こういった会合への出席をチーム代表マイク・クラックに任せることが多くなってきた。

 企業の従業員であるチーム代表は、スタッフにどれだけ負担がかかろうと、できるだけ多くの利益をチームにもたらさなければならない。スプリントレースのバランスシートを見れば、通常のグランプリウイークエンドよりも多くの利益を得られることは明白だ。そうなると代表はスプリント戦を増やすことにもちろん賛成する。

2022年F1第4戦エミリア・ロマーニャGP 土曜スプリントスタート

 かつてケンがティレルを所有し、フランクがウイリアムズを所有し、エディがジョーダンを所有していたころ、彼らはチーム代表でありチームオーナーでもあった。彼らは資金のやりくりをする必要があったが、会計担当としてだけでなく、大きな視野ですべての問題に目を配った。今のチーム代表たちとはスタンスが全く異なる。

 山崎12年をたっぷりグラスに注ぎつつ、あの立派な起業家たちなら、F1の本質とは対極にある、馬鹿げたミニレース案をどうしただろうかと考える。これが何杯目かを、妻と彼女の忠実なスパイ(家政婦)に悟られないように気を付けながら……。

※こちらの連載は、第3回目からautosport web Premium会員限定コンテンツになります
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■筆者ニック・リチャーズについて

 F1界に大勢いるミステリアスな存在のひとり。本人は認めたがらないが、かなり高齢で、F1界に最初に足を踏み入れたのは大昔のことだ。大勢のF1関係者にとって、金持ちの伯父さん的な存在であり、公では話さないようなことを彼には何でも話すという人間も多い。

 彼はドライバー、マネージャー、チームオーナー、エンジニア、ジャーナリストたちに対して、惜しみなくアドバイスを与える。大勢の人々が自分の言葉に敬意を払って耳を傾けることがうれしいのだ。

 1950年代には英国国防軍に所属して何度か地域紛争に出動、英国空軍を経て、諜報活動にも従事した。モータースポーツの世界に入るきっかけは定かではないが、1960年代には日本で暮らし、ホンダのアドバイザーのような役割も果たしていたというウワサや、アメリカの国家機関とのつながりから、グッドイヤーを通じてグランプリに関わるようになったという説もある。バーニー・エクレストンのブラバム買収、フランク・ウイリアムズのためのスポンサー契約、ロジャー・ペンスキーのF1挑戦などをサポートしていたという話も伝わっている。

 誰にでもフレンドリーだが実際には誰とも友人関係にはならないという距離感を保ちながら、彼は50年間にわたりパドックの住人としておなじみの存在だった。しかし、世界中を旅する生活に疲れ、今はイギリスの「海辺の美しくこじんまりとしたコテージ」に腰を落ち着けている。具体的な場所は誰にも公表していない。

 長年の人脈から、F1界で起きていることはすべて熟知している。今でも時にはモナコ、シルバーストン、モンツァに出かけることがあり、そんな時に彼が投げかける鋭い質問に人々は驚く。まるで今も毎戦パドックにいるように、豊富な情報を持っているからだ。