太平洋戦争の岐路「ミッドウェー海戦」80年 負け確定だった日本艦隊 敗因は1週間前から

1942年6月に行われた日米の艦隊戦「ミッドウェー海戦」。艦船数こそ日本側が圧倒していたものの、索敵の不備などから日本側が大敗しました。「こうすれば勝てた」と言われることの多い海戦ですが、勝利の道筋はあったのか見てみます。

戦艦「陸奥」進水-1920.5.31 巨艦で高速「世界7大戦艦」の一翼 最期は“極秘”

旧日本海軍の戦艦「陸奥」が1920年の今日、進水しました。長門型戦艦の2番艦として建造されましたが、一時は廃艦の危機に瀕します。大きさやスペックから「世界のビッグ7」に数えられましたが、最期はあっけないものでした。

戦艦「日向」竣工-1918.4.30 後に世界唯一の「航空戦艦」へ 転換点は主砲爆発事故か

旧日本海軍の戦艦「日向」が1918年の今日、竣工しました。同艦は太平洋戦争中に、艦載機も運用できるよう後部に飛行甲板を設置しましたが、その実力を存分に発揮することなく終わりました。

飛行甲板を大改造 空母「赤城」進水-1925.4.22 海底で眠る姿も77年後に確認

旧日本海軍の空母「赤城」が1925年の今日、進水しました。巡洋戦艦として建造が進むも、後に空母に改装された経緯があります。その証拠が名称。ただ空母になった後も、艦載機の運用を巡り試行錯誤が続けられました。

同日竣工 戦艦「榛名」&「霧島」-1915.4.19 運命の分かれ目はガ島攻略

1915年の今日は、旧日本海軍の戦艦「榛名」と「霧島」が竣工した日です。金剛型の姉妹艦であり、2度にわたる改修を受け太平洋戦争を迎えると、2隻とも主要な作戦に投入されました。運命を分けたのは、ガダルカナル島の攻略時でした。

「司令官は最前線へ」の伝統が原因? 旧日本海軍の連合艦隊トップ戦死の2大事件

軍のトップが最前線で戦ってこそ兵の士気を高められるという伝統は、いまなお根強いものです。そのようななか、時代の変化に逆らい、この伝統にこだわった旧日本海軍は、山本五十六長官を失うこととなりました。

巡洋艦「北上」竣工-1921.4.15 のちに旧海軍の決戦兵器搭載へ 本気出すことなく退役

旧日本海軍の巡洋艦「北上」が1921年の今日、竣工しました。太平洋戦争開戦にあわせて「北上」は、片舷から計20本もの酸素魚雷を発射できる重雷装艦へ改装。しかし真価を発揮する機会ないまま、最後は特攻兵器「回天」の母艦となります。