4月25日、三重県の鈴鹿サーキットで開催された全日本スーパーフォーミュラ選手権第3戦。レースはウエットコンディションのなか、松下信治(B-Max Racing Team)が劇的な逆転スーパーフォーミュラでの初優勝を飾った。そしてこの優勝は、2017年からスーパーフォーミュラに挑んできたB-Max Racing Teamにとっても初めての国内最高峰フォーミュラでの優勝となった。チームの組田龍司総代表にレース後、喜びの声を聞いた。
B-Max Racing Teamは2010年にB-MAX ENGINEERINGとして神奈川県綾瀬市に設立。マカオグランプリ制覇を目指しジュニアフォーミュラを中心に活動を続け、2011年には関口雄飛を擁し初めて全日本F3選手権のチャンピオンを獲得。F3をはじめスーパーGT、FIA-F4など、組田総代表の情熱とともにレース活動を続けてきた。
そんなB-Max Racing Teamは2016年10月、「トップフォーミュラをいつかやりたい」という組田総代表の希望のもと、スーパーフォーミュラへの参戦を表明。2017年には小暮卓史を、2018年には千代勝正を擁し1台体制で挑戦。2019年にはヨーロッパの強豪モトパークとのコラボでルーカス・アウアーとハリソン・ニューウェイを起用した。
コロナ禍に見舞われた2020年からはドライバーラインアップが流動的となったが、その年の第3戦SUGOではセルジオ・セッテ・カマラを起用し初参戦ながらチームに初めてのポールポジションをもたらした。
そんなチームに加わったのが、ヨーロッパでの活動の後、日本に戻った松下だった。第4戦から第7戦までドライブし、2021年は第1戦こそ出場がなかったが、第2戦から参戦し、第7戦ではポールポジションを獲得していた。
■険悪なムードになった富士大会後
期待とともに挑んだ2022年シーズンに向け、組田総代表は「2021年は第2戦から松下選手に来てもらって、非常に感触あるシーズンを送りました。2022年に向けたドライバーの選定でも、『松下選手とぜひやりたい』と関係各所に打診して、1台体制で不利ですが『またやりましょう』となりました」と松下とともにスーパーフォーミュラに挑んだ。
しかし、2022年第1戦/第2戦の舞台となった富士スピードウェイでは、松下は2021年にレースをしていない。それが影響したのか苦戦し、完走した第2戦も結果は19位。「この間の富士は“ドハマり”でした。レースの結果も悪く、チームのムードは最悪です。『100』だった開幕前の期待値が『ー100』くらいになりました」という。
さらに結果が出ないことにより、チーム内部には険悪な雰囲気すら漂ったという。「特に第1戦のピットインのタイミングがチームの意思とドライバーの意思が合わないことがあり、田坂(泰啓)エンジニア、本山(哲)監督がかなりお怒りになりました。本当にマズいムードになってしまったんです」と組田総代表は明かした。
組田総代表は、チーム代表としてミーティングを行い、少々テンションが下がっていたメカニックたちを鼓舞し、ムードを高めて第3戦鈴鹿に臨んだ。さらに「エンジニアリングのやり方も変えました。エンジニアの理解、監督の意思も入れつつ、やり方を変えようとしました」と体制強化も行った。
「そして何よりも松下選手が、しっかりと自分の弱点を分析して臨んでくれたんです」
迎えた第3戦鈴鹿のフリー走行では、松下は14番手。「いっとき、ムードがまた悪くなりかけた。でも『そんなことはない』と言ったんです。予選までにクルマを見直した結果、良いところが見つかった。予選ではQ2で9番手でしたが、少し欲張った結果の9番手でした。だから手応えはありました」と組田総代表。
「決勝日は雨になりましたが、逆に昨年からレースもテストもずっと速かったので、エンジニアもドライバーも自信をもっていました。結果的に恵みの雨になりましたね」
■レーシングスーツ姿でSFのピットへ
そんな松下の決勝レースだが、序盤から上位を走り順位を上げると、8周目には山下健太(KONDO RACING)をかわし表彰台圏内に入った。3番手に上がった時点で組田総代表はピットからA2パドックに移動した。自身がドライバー『DRAGON』として出場する全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権第6戦の準備のためだ。
A2パドックのテントのなかに用意されたテレビを見ながら、組田総代表は着替えなど準備を行いつつ、松下が牧野任祐(DOCOMO TEAM DANDELION RACING)を追うシーンを見つめた。「速さはあるのでチャンスはあるかと思いましたが、牧野選手を抜くのに時間がかかり、オーバーテイクシステムの残量もなかったので、さすがにトップまでは無理だろうと思っていたんです」と自分の準備を進めた。
「ただその後のペースを見ていたら、トップに追いつくかもしれない。ただトップの野尻智紀選手はオーバーテイクシステムがかなり残っていた。とはいえ、9番手スタートで2位フィニッシュなら過去最上位ですし、この調子で終われればな、とまわりと話していました」
ところが、松下はみるみる野尻を追いつめていく。「『ちょっと待てよ』となった(笑)」という組田総代表はレーシングスーツ姿のまま「オレあっち行ってくるわ」とピットに駆けつけた。その後は中継映像にも映っていたとおりだ。
「ああなってしまうと、チームがやれることはありませんから。ドライバーが自分のために戦うしかないので、見守るしかなかったです」
松下がトップチェッカーを受け「よっしゃ!」と雄叫びを上げた組田総代表。「最高ですよ。そのひと言につきます」と本山監督をはじめチームメンバーとともに興奮に包まれた。
■表彰式を観ずにドライバーDRAGONへ
しかし、今度はドライバーとしてすぐにスーパーフォーミュラ・ライツのコースインの準備をしなければならなかった。そのため、表彰台の中央に松下が乗るところも観られていない。ライツに出ているのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが、「主催者の方に冗談で『このスケジュールは良くないね!』と言いましたよ(笑)。僕はすぐ松下選手に抱きつきたかったですが」という。
「HFDPのドライバーである木村偉織選手、夢を負う菅波冬悟選手を預かっていますし、しっかりライツに切り替えました」
ちなみに、DRAGON自身はコクピットに乗り込んだ後も喜びが消えなかったが、エンジンをかけ第6戦のグリッドに向かうところで「集中しよう」と切り替えた。この週末、DRAGONはスタートで遅れ、第4戦、第5戦ともマスタークラス優勝を飾れていなかったが、この第6戦でスタートを決めたDRAGONは見事優勝。チームにとっても二重の喜びとなった。
「スーパーフォーミュラではまだチャンピオンをあきらめていないですし、流れに乗れれば可能性もあると思います。2勝目、3勝目ができるように頑張っていきたいと思います」
長年の宿願を叶え、DRAGON……もとい組田龍司総代表は「気持ち良く帰れます」と終始笑顔が絶えない様子だった。