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 それは、想像以上に“熱”のこもった“イベント”だった。

「トヨタ東富士研究所で、ル・マン向けのエンジン出荷式を取材しませんか」

 トヨタGAZOO Racing(TGR)の担当者からそんなお誘いをいただいたのは4月上旬。以前から、そのような“儀式”が行われていることはリリースされる写真を通じて知ってはいたが、取材が許される類のものではないと思っていた。しかも今回はエンジンベンチ室も見学することができ、目の前で走行シミュレーションまでしてくれるという。

 ただし、そこはトヨタの中枢である研究所の内部。カメラはもちろんのこと、撮影機能付きのガジェットやICレコーダーなどは一切持ち込み禁止。写真と取材音声は先方が撮影・録音したものが提供され、その他秘匿事項は口外禁止、という条件がつく取材ではあったが、それでもこの目でトヨタGR010ハイブリッドのエンジン実機が見られるというのは、逃すことのできない機会だった。

 4月11日月曜日午後、東富士研究所の正門に集合した我々4人のメディアはビジターIDを胸に付け、いざ核心へのゲートを潜る。そこから構内循環バスに乗って内部に進むと、“厳戒体制”の意味はすぐに理解できた。偽装を施した開発中と思しき車両が、平然と行き交っている。

 広大な敷地内にはいくつもの建屋があるが、当然ながら勤務中の時間帯ということで、屋外に出ている人はまばら。どこか緊張感の漂う不思議な“街”へと紛れ込んだ気分だ。

 10分ほどバスに揺られ、停留所で下車。そこから1〜2分ほど歩くと、『C-10』と呼ばれる2階建ての建物に到着した。

 このC-10こそが、トヨタのモータースポーツ開発の“中枢”である。それを象徴しているのが、エントランスを入ったところに置かれている、かつてのモータースポーツ用エンジンの実機やそのパーツ類だ。

 取材時は、CART、F1、そしてWEC/ル・マンに参戦した計4機のエンジンが並べられており、TS050ハイブリッドの2.4リッターV6には、モノコック側の締結面に小林可夢偉のサインが入れられていた。2020年のレースに向けた出荷式に立ち会った可夢偉が書き入れ、ル・マンを戦った後、ここC-10へと戻って来たのだという。

東富士研究所内『C-10』建屋の1階エントランス部分。歴代エンジンやそのパーツ類がディスプレイされている。
東富士研究所内『C-10』建屋の1階エントランス部分。歴代エンジンやそのパーツ類がディスプレイされていた。

 安全靴へと履き替え、着帽ののち、C-10の1階部分へと入室する。普段は開発が行われているその広いスペースには、60〜70人ほどのスタッフがすでに集まっていた。やがて、佐藤恒治GRカンパニー・プレジデント、ドライバー兼チーム代表の小林可夢偉、ドライバーの平川亮のほか、一時帰国中の中嶋一貴TGR-E副会長ら錚々たるメンバーもやってきた。

 また、ドイツ・ケルンのTGR-Eの会議室ともリモートで繋がれ、チームディレクターのロブ・ロイペンや、テクニカル・ディレクターのパスカル・バセロンらが、画面の向こうからこちらの様子を見守っている。

 会場前方には、この日の“主役”である、GR010ハイブリッドの心臓部が置かれていた。中央にエンジン、その両脇にフロントに搭載されるMGUと、ドライバーの背後に積まれるリチウムイオンバッテリーが鎮座する。

 機密事項たるその詳細をお伝えすることができないのは残念だが、3.5リッターV6直噴ターボエンジンは、TS050ハイブリッド時代の2.4リッターV6から、“大きな変貌”を遂げていた。低重心化と振動低減を狙っていることが見てとれ、以前LMP1時代に某マニュファクチャラーが画像を公開していたエンジンとも、どこか共通するものを感じた。

 2台のGR010ハイブリッドに搭載される本機と、それぞれのスペア、計4基のエンジンは、4月中にはこのC-10を旅立ち、ケルンのTGR-Eに送られるという。

 どこか荘厳な雰囲気も漂うなか、出荷式、正式名称『ル・マン・コンポーネント搬出式』が始まった。

■開発スタッフの「怖い」という言葉に可夢偉が反応

 司会の進行のもと、まずは佐藤プレジデントが挨拶に立った。

「我々がWECをやる目的は“勝つ”ということだけではありません。もちろん勝ちに行きますが、その先に、我々がWECに関わることで新しいモータースポーツの未来を切り開いていくというところまでを視野に入れて、今年のル・マンに臨みたい」

 その後も東富士研究所所長を筆頭に、設計担当、ベンチ評価担当、組み付け担当などそれぞれのセクションの代表者が、全員の前で挨拶をする。ドイツ側からも、画面越しのスピーチがなされた。

 自身の仕事への情熱と周囲への感謝、そして何よりもレースに勝ちたいという熱が感じられるスピーチが、ときにユーモアも交えながら行われていき、会場のボルテージが上がっていくのを肌で感じる。

搬出されるコンポーネンツを前に、開発に携わったメンバーが次々とスピーチに立つ
搬出されるコンポーネンツを前に、開発に携わったメンバーが次々とスピーチに立つ

 なかでも印象に残ったのは、エンジン評価担当のYさんのスピーチだった。

 Yさんはこの日から、ル・マンに向けて出荷する4台のエンジンの搬出試験を行うという。組み上がったエンジンを回してみて各部をチェックし送り出す、いわば最終チェックを行って『GO』を出す立場だ。

 いよいよエンジンを搬出するという高揚と同時に、大きな緊張を感じていると、Yさんは赤裸々な感情を口にする。

「自分が搬出試験をしたエンジンに、何かがあったら怖いです」

「丁寧に、丁寧に、試験をやりたい。少しでも、(現場が)思い切りレースできるように」

 この“怖い”という単語に、のちにスピーチに立った可夢偉がリアクションした。

「僕らも、同じ気持ちです。正直、緊張感との戦いです」

「去年、チェッカードライバーになって、(燃料系トラブルにより)エクストラ(追加)の操作が必要な状態でした。正直、人生で一番緊張したレースでした。特殊な操作が必要ということ以上に、これだけの人の思いが詰まったものをゴールまで導けるか、という緊張がありました。みんなでこの緊張を経験し、勝ちにいきましょう」

TOYOTA GAZOO Racingの7号車トヨタGR010ハイブリッド 2022WEC第1戦セブリング1000マイル
TOYOTA GAZOO Racingの7号車トヨタGR010ハイブリッド 2022WEC第1戦セブリング1000マイル

 最後に挨拶に立ったのは、昨シーズン限りでドライバーを退いた一貴TGR-E副会長。そのスピーチの前には、開発スタッフ側の粋な計らいで、これまでWECの最前線で戦い、ル・マン3連勝をマークした一貴副会長に、記念品が送られた。

 この記念品が“開発スタッフならでは”の逸品だった。2012年、一貴副会長が初めてル・マンに出場したTS030のピストン&コンロッドと、最後のル・マン出場となったGR010のピストン&コンロッド(もちろん、対外的には一切公開されていない)がオブジェのようにプレートの上に立っている。

 それだけではなく、「2年ごとにトピックがある」と、2012年、2014年(日本人初PP)、2016年(3分前の悲劇)、2018年(初優勝)の4台のマシンと、三連覇したパワートレーンのミニチュアセットも贈呈された。その土台となるカーボンプレートはスーパーフォーミュラのエンジン部材だという。また、2012年のTS030が開発車仕様の赤いカラーリングだったのも、現在のWECプロジェクトの原点を感じさせる、粋な演出と言える。

「なんだか、本来の会の趣旨とは違ってきましたが……(笑)」と困惑しながらスピーチを始めた一貴副会長は、次のように締め括った。

「何か起こるか分からないのがル・マンですが、何が起きたとしても挑戦し続けてこられたから、いまの結果があります」

「ライバルが増える来年に向けて、まだまだ結果を出していかないといけません。皆さん、引き続きよろしくお願いします」

 最後に、出荷するコンポーネントと全員で記念写真を撮影し、豊田章男社長へのメッセージを可夢偉が代表して伝える動画を撮影、出荷式はお開きとなった。ここまで約1時間。開発に携わった人々の、ル・マンにかける“熱”が印象的だった。

■エンジンベンチ室のモニターでBoPの効果を“目撃”

 このあと、佐藤プレジデントと一貴副会長、そしてふたりのドライバーは、同じ建屋内にあるエンジンベンチ室の見学へ。我々メディアも担当者の説明を受け、その内部を案内してもらうことができた。

 ベンチ室はリヤ側ユニット(エンジンとギヤボックス)とフロント側ユニット(MGU)が、隣り合う別々の部屋に置かれていた。部屋は分かれているが、それぞれのコンポーネントはもちろん接続状態にある。

 この開発ベンチではエンジンのマッピングやギヤシフト、フロント&リヤの協調など、すべてが走行を模した状態で再現でき、各種制御セットアップを行って動作確認・検証することが可能となっている。また、各サーキットの吸気温度や湿度も再現可能だという。

佐藤プレジデント、一貴副会長、可夢偉チーム代表兼ドライバー、平川らとともに、メディアも見学が許されたエンジンベンチ内。こちらはリヤ側ユニット
佐藤プレジデント、一貴副会長、可夢偉チーム代表兼ドライバー、平川らとともに、メディアも見学が許されたエンジンベンチ内。こちらはリヤ側ユニット
エンジンベンチのコントロール室。多くのモニターが立ち並ぶ
エンジンベンチのコントロール室。多くのモニターが立ち並ぶ

「では、ポルティマオを走ってみましょうか」

 コントロールルームでスタッフがスイッチを入れると、エンジンが回り出し、プログラムに沿ってシフトアップ、シフトダウンがされ、コースを仮想した“走行”が始まる。

 レースでピット内に置かれるものとほぼ同様だというテレメトリー画面も、エンジンに合わせて各種数値やグラフが連動。この画面上で最も興味深かったのが、フロントアクスルとリヤアクスル、ふたつの車軸からの出力(kW)が表示される棒状のグラフだった。

 今季開幕戦でのBoP(性能調整)に合わせ、車速が190km/hに達するまではリヤアクスル(=エンジン)のみが最高506kWを出力しているが、190km/hを超えた瞬間にフロントアクスル(=MGU)が出力を発生し、その分リヤの出力が減らされ、合計506kWとなるよう調整されている様が見て取れる。

 精緻なエネルギーマネジメントを行なっている様、そしてBoPにより“四輪駆動”となる時間が少ないかことが、よく理解できた。技術的詳細に関わる部分をデフォルメしつつ、オンボード映像とともに公開してもらえればファンにとっても楽しいものになるのでは、と感じた。

 その隣には実際のGR010ハイブリッドのステアリング上と同様のダッシュ・モニターも置かれ、現在のギヤや車速、そしてバッテリー容量(SOC)などが表示される。

 今年レギュラードライバーとなった平川もこの場を訪れるのは初めてとのことで、普段自らの背後に置かれるパワーユニットがどう開発されているのか、興味深く見学していたのが印象的だった。

 隣接するベンチ内ではまもなく、新たなGT3車両向けの、まったく新しいエンジンが回り始めるという。2022年の東京オートサロンで初めてその存在が明かされた『GR GT3コンセプト』のプロジェクトも、このC-10で開発がスタートするというわけだ。

1月14日にトヨタGAZOO Racingが発表したGR GT3コンセプト
1月14日にトヨタGAZOO Racingが発表したGR GT3コンセプト