2022年、アルファタウリの角田裕毅は、F1での2シーズン目を戦っている。昨年に続き、エディ・エディントン氏が、グランプリウイークエンドを通して角田の動きをくまなくチェックし、豊富な経験をもとに、彼の成長ぶり、あるいはどこに課題があるのかを忌憚なく指摘する。今回は2022年F1第5戦マイアミGPについて語ってもらった。
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ウチの娘たちは、事あるごとに「お父さん、ちょっと落ち着いたら」と言うのだが、親に向かってなぜああいうものの言い方をするのだろうか。私が若いころには父親に対してそんな風にずけずけとものを言う勇気はなかったし、そんな口の利き方をしたら、すぐさま頭を叩かれただろう。
「そんな話を聞きたいんじゃない」とか君が言い出す前に、話題を戻そう……あれ、何の話だっけ? 冗談、冗談、もちろんマイアミでの角田裕毅についての話だ、分かってるって!
プラクティスでも予選でも強さを発揮していただけに、決勝結果は我々が期待するものではなかった。だが決して悲惨だったわけでもない。12位で、タイム上、ポイント圏内まで大きく離れていたわけではないのだ。
まずはポジティブな要素に目を向けようではないか。角田は、マイアミの新しいサーキットで、最初の2日間をとても良い形で過ごした。ところで、この場で言うことではないが、あのサーキットのデザインはどうなんだ。馬鹿げた“ミッキーマウス”コースで、路面もひどいものだった。あれはターマックとは言えないね。1990年代にウチのドライバーを走らせたインディカーのクリーブランドとかデトロイトとかデンバーの、セメントとターマックのパッチワークのような路面を思い出した。
サーキットのことは置いておいて、角田の話だが、次はネガティブな点だ。レースのファーストスティントはひどいものだった。第2、第3スティントでは冷静さを取り戻して、良い走りをしていたが、最初の10周でレースが駄目になったといえるだろう。
レース序盤、彼は完全に冷静さを失っていたようだ。気の毒なエンジニア相手に無線で激高していた。確かにタイヤのデグラデーションが非常に高かった。他のドライバーたちとは比べものにならないくらいにだ。だが、無線でギャーギャーわめいて不満をぶつけたところで、状況が良くなるわけではない。
現代のドライバーたちには、タイヤを守るためのツールがたくさん用意されていて、ステアリングホイールで設定を変えることで、やれることはいくらでもある。だからもう少し冷静に行動していれば、問題を最小限に抑えて、タイヤをもっと長く持たせることができたはずだ。
なぜならチームメイトのピエール・ガスリーは、最初のミディアムタイヤで、角田よりも5周長く走っている。そして、16周目にピットに入ったのも、タイヤがだめになったからではなく、フェルナンド・アロンソのピットストップに反応したからだった。ガスリーは、角田のようにポジションを落としていくようなことはなく、余裕で7番手を走っていた。
サーキットに行っていた、ある信頼できる人物からの情報によると、裕毅は予選後に非常に動揺していたということで、それがレースへのアプローチに影響したのかもしれない。彼は金曜には慎重に走り、土曜のFP3、予選Q1、Q2ではガスリーよりも速かった。そのため彼はQ3でも自分が勝てると思っていたに違いない。チームはQ3のアタックの際に、角田、ガスリーの順にピットから送り出した。だが、ガスリーは幾分強引にアウトラップで前に出て、自分の好きなペースでタイヤの準備を整えた。その結果、ガスリーが予選7番手、角田は9番手となり、角田はそれに不満を持っていた。
決勝で気分を変えることができればよかったが、スタートでアロンソの後ろに落ちてしまい、わずか6周でタイヤがだめになった。ハース2台に立て続けに抜かれ、その後の5周は角田にとって苦痛でしかなく、それに冷静に立ち向かうことができなかった。
だから彼にかけたいのは「少し落ち着け」という言葉だ。いかなる状況でも頭脳を使って冷静に分析し、エンジニアが解決策を見出せるよう情報を提供し、それによって少しでも良い結果を手に入れる。それがドライバーのすべき仕事だ。
誰もが初めて走るサーキットを、角田は素早く学び、予選で素晴らしい仕事をした。レースでは、ファーストスティントがひどかったせいで、後方にポジションを落とした。だが少なくともハードタイヤで挽回していき、最終的に入賞圏内に近づくことができた。マイアミでの角田にはポジティブな点があったが、残念ながらネガティブな点もあったと言わざるを得ない。
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筆者エディ・エディントンについて
エディ・エディントン(仮名)は、ドライバーからチームオーナーに転向、その後、ドライバーマネージメント業務(他チームに押し込んでライバルからも手数料を取ることもしばしばあり)、テレビコメンテーター、スポンサーシップ業務、講演活動など、ありとあらゆる仕事に携わった。そのため彼はパドックにいる全員を知っており、パドックで働く人々もエディのことを知っている。
ただ、互いの認識は大きく異なっている。エディは、過去に会ったことがある誰かが成功を収めれば、それがすれ違った程度の人間であっても、その成功は自分のおかげであると思っている。皆が自分に大きな恩義があるというわけだ。だが人々はそんな風には考えてはいない。彼らのなかでエディは、昔貸した金をいまだに返さない男として記憶されているのだ。
しかしどういうわけか、エディを心から憎んでいる者はいない。態度が大きく、何か言った次の瞬間には反対のことを言う。とんでもない噂を広めたと思えば、自分が発信源であることを忘れて、すぐさまそれを全否定するような人間なのだが。
ある意味、彼は現代F1に向けて過去から放たれた爆風であり、1980年代、1990年代に引き戻すような存在だ。借金で借金を返し、契約はそれが書かれた紙ほどの価値もなく、値打ちがあるのはバーニーの握手だけ、そういう時代を生きた男なのである。