<p>さようなら「日産シーマ/フーガ」 自動車史を彩る日産プレミアムセダンの系譜を振り返る – webCG</p><p>さようなら「日産シーマ/フーガ」 自動車史を彩る日産プレミアムセダンの系譜を振り返る</p><p>日産の高級セダン「シーマ/フーガ」が販売終了に……。往年の「セドリック/グロリア」の流れをくむ両車は、いかなる歴史をたどってきたのか? その時々の世相やライバルの様子、そしてセダンというジャンルの盛衰とともに振り返る。</p><p>社会現象を引き起こした「シーマ」の登場 日産が一矢を報いたのは1988年のこと。セドグロの上級版としてシーマ(当時の名称は「セドリックシーマ/グロリアシーマ」)を発売したのだ。3ナンバーの専用ボディーに3リッターV6エンジンを搭載した、優雅で堂々とした4ドアハードトップである。1980年代の日本ではいわゆる“ハイソカー”が人気になっており、トヨタの「マークII」3兄弟や「ソアラ」などがもてはやされていた。シーマはその頂点に君臨するモデルと受け止められたのである。 当時はバブルの最盛期で、『君の瞳をタイホする!』『抱きしめたい!』といったトレンディードラマが高視聴率を誇っていた頃だ。世の中は浮かれ気分で、ハイパワーでゴージャスなクルマがトレンドだった。シーマは時代の空気にジャストマッチしたのだ。500万円を超える高価格だったが、1年間で3万6400台を売り上げる。“シーマ現象”という言葉が生まれ、その年の新語流行語大賞で銅賞を獲得した。 翌年は“日本車のヴィンテージイヤー”と呼ばれる1989年。「トヨタ・セルシオ」「ユーノス・ロードスター」「日産スカイラインGT-R」が発売され、世界に日本車の実力を知らしめた。今になってみれば、シーマは露払いのような役割だったように思える。しかし、この年の暮れに日本では株価が大暴落。1990年代は長い後退の時期となり、ハイソカーブームは一気に収束した。 1988年型「日産セドリックシーマ」。「シーマ」の初代モデルは、「セドリック/グロリア」とプラットフォームを共有する上級モデルとして登場した。</p>