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オープンモデルをなんと呼ぶ? 初期の流麗なスタイルを受け継いだアルファ・ロメオ スパイダー【いのうえ・こーいちの名車探訪】

 オープン・モデルを表わすことばはいろいろある。カブリオレをカブリオというところもあるし(例:VWゴルフ・カブリオ)、ロードスター、コンヴァーティブル、ドロップヘッド・クーペ、「エアロキャビン」なんていうのもあったなあ(例:ソアラ「エアロキャビン」)……

 そんななかで「スパイダー」というと、やはりアルファ・ロメオを思い出してしまう。

 いや、スパイダーというのはイタリアで多く用いられているもので、たとえばルーフ部分だけが脱着できる「タルガトップ」もスパイダー(例:ディーノ246GTSのSはスパイダーの頭文字)と呼んだりする。

 その誕生過程から、ロードスターはサイド・ウィンドウがないオープン中心、カブリオレやコンヴァーティブルなどは耐候設備のよい両用タイプなどとかつては分類されていたが、最近は入り乱れていろいろな呼び名が交錯している。

 今回は代表的なアルファ・ロメオ、それもジゥリア・シリーズのスパイダーを採り上げよう。

文、写真/いのうえ・こーいち

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■スパイダーの誕生はショウモデル

アルファ・ロメオ スパイダーの初期モデル「デュエット」

 アルファ・ロメオの人気モデルは1960年代に発表されたジゥリア・シリーズと呼ばれるクーペだ。ジゥリア・スプリントGTという正しい名前は知らなくても、張りのあるクーペ・ボディのスタイリングはクルマ好きなら必ずや記憶に残っているだろう。

 同じエンジン、同じフロアシャシーを使って、いろいろなボディ・スタイリングを架装していくのは、歴史的にカロッツェリアというボディデザイン、制作工房が発達していたイタリアの特徴でもある。クーペを中心に、4ドア・ベルリーナ(サルーンのイタリア語)、スパイダーなどヴァリエイションを広げていく。

 そのカロッツェリアはさまざまな先進的ショウモデルをつくって、デザインの方向性を提案したりした。イタリアのトリノ・ショウはそうした発表の場として知られていた。

 カロッツェリア・ピニンファリーナが1961年のトリノ・ショウに展示した「エアロ・ダイナミカ」というモデルは、空気をダイナミックに貫く流れるような未来的スタイリングで、大きな話題になっていた。

 そのスタイリングをモティーフに、2座スパイダー・モデルとして1966年に登場したのが、われわれのよく知る「スパイダー」の最初のモデルになった。

 最初のジゥリア・シリーズのスパイダーは1.6Lエンジンを搭載、テール部分が丸い「ボートテール」が特徴であった。シャシーは2シーターということで短くされ、クーペの2350mmのホイールベースが2250mmとなっていた。

 それでいて全長は4250mmというのだから、伸びやかで優美なスタイリングであることが解る。スパイダー「デュエット」というネーミングであった。

■クーペに倣ってチェンジ

アルファ・ロメオ スパイダーの初期モデル「デュエット」

 このアルファ・ロメオ「スパイダー」はいくつものチェンジを繰返しつつ、じつは1990年代まで長寿を保った。

 その間、ジゥリア・シリーズの変遷に伴ってエンジン排気量を拡大するなどしたのだが、ベースたるジゥリアのクーペ・ボディは1970年代後半にフェードアウトしてしまっていたから、スパイダーはジゥリア・シリーズの最生き残りのようにいわれ、クラシックな味わいも人気のポイントになったりした。

 まずは佳き時代のスパイダーの移り変わりを紹介しておこう。1967年、ジゥリア・シリーズは新しい「1750」エンジンを搭載してアルファ・ロメオ1750GTVになる。

 この数字は戦前レースで大活躍したモデルに由来する拘りの数字で、1779ccだから本当なら1.8Lと書けばいいものを、わざわざ「1750」とするあたりもイタリアらしいところだ。

 早速スパイダーもこのエンジンを搭載され、1750スパイダー・ヴェローチェになる。つづいて1969年には特徴的だったリアエンドが、スパリと切り落とした「コーダトロンカ」スタイルに変更される。全長も4120mmに短くなり、きびきびした印象に変わった。

 また1968年からは1.3Lエンジン搭載のスパイダー1300ジュニアが加えられ、以後スパイダーは二本立てで生産がつづけられる。

 1971年にふたたびエンジンを拡大、2.0Lになったのを受けてスパイダー2000ヴェローチェにチェンジ。「ヴェローチェ」とは速いの意味のイタリア語で、高性能版によく使われている。

 さまざまの規制が実施された1970年代だったが、ほとんどのオープンモデルが消滅するなかで、アルファ・ロメオのスパイダーは佳き時代のスタイリングを保ちつつ、生産をつづけた。

■長寿のスパイダー

 1980年代になると、わが国において長くディーラーであった伊藤忠オートが撤退、しばらくディーラーが存在しない時期があった。1988年に大沢商会、追って1990年にアルファロメオ・ジャパンが設立されたとき、アルファ164、アルファ75とともにラインアップされたのが、懐かしいスパイダーであった。

 一時はハードトップを組み合わせ、スパイダー2.0「クワドリフォリオ」を名乗ったりしていたが、1990年にピニンファリーナ自身の手によってスタイリングをリファイン、スパイダー2.0になる。それはビルトインされたバンパーなどにより、新鮮で美しいスタイリングを取り戻した。

 先の「クワドリフォリオ」の時は、さすがに時代遅れなスタイリングに無理しているな、という印象だったのに、マイナーチェンジでこれだけ美しく甦るとは。カロッツェリアの手腕を再認識させられたのだった。

 よりユーザー層を広げるためにAT仕様もつくられ、スパイダーはスポーツカーという性格とともに、エレガントで個性的なパーソナルカーという個性も加わって人気が復活したのだった。

【著者について】
いのうえ・こーいち
岡山県生まれ、東京育ち。幼少の頃よりのりものに大きな興味を持ち、鉄道は趣味として楽しみつつ、クルマ雑誌、書籍の制作を中心に執筆活動、撮影活動をつづける。近年は鉄道関係の著作も多く、月刊「鉄道模型趣味」誌ほかに連載中。季刊「自動車趣味人」主宰。日本写真家協会会員(JPS)

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