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2022年3月16日夜に発生した福島県沖を震源とした東北地震で、東北道の路面に亀裂が入るなど被害が発生した。

しかし、NEXCO東日本が迅速に復旧工事を行い、地震発生から16時間後には応急処置が完了し、全線で通行が可能になった。

11年前の東日本大震災でも、その復旧の早さが国内外から注目されたNEXCOだが、なぜここまで素早い対応が毎回可能なのか? その裏側はどうなっているのか? 考察していきたい。

文/清水草一
写真/東日本高速道路(株)、Adobe stock(トップ:a3701027@Adobe stock)

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■NEXCOはなぜこんなにも素早い復旧が可能なのだろうか

 2022年3月16日夜に発生した福島県沖を震源とした東北地震で、東北道の路面に亀裂が入るなど、かなりの被害が出た。しかし、NEXCO東日本が迅速に復旧工事を行い、地震発生から16時間後には応急処置が完了。全線で通行が可能になった。

2022年3月16日夜に発生した福島県沖を震源とした東北地震で発生した亀裂。長期にわたる通行止めも考えられる被害の大きさだった(東日本高速道路(株)より提供)

 2011年の東日本大震災でも、その復旧の早さが注目されたNEXCOだが、なぜここまで素早い対応が可能になったのだろう。

 こういった緊急事態の対応は、言うまでもないことだが、現場の努力が極めて重要だ。そこには必ず感動的な物語がある。

 が、緊急事態は戦争のようなもの。現場、つまり兵士たちは、指揮官から的確な指示がなければ、個々がどんなに優秀でも、力を発揮する術はない。NEXCOの災害復旧工事がこれほど迅速になった最大の理由は、指揮系統の整備にあると私は見る。

 思い起こすと、日本道路公団時代、このような素早い対応は見たことがなかった。

 例えば、1999年9月の台風18号では、岐阜県美濃市の東海北陸自動車道が長さ140メートルにわたって崩れ、民家の敷地まで土砂が押し寄せた。同年8月には、やはり台風で群馬県富岡市の上信越自動車道ののり面が崩落。いずれも復旧までに1~2カ月を要した。

 上信越道の件については、それほど大規模とは思えない崩落にもかかわらず、下り線は1カ月以上通行止めとなり、その間、上り線を対面通行に変更して対応していた。

 私は土木工事の専門家ではないが、「こんなに時間がかかるのは、日本道路公団の対応に、問題があるんじゃないか」という、漠然とした思いを抱いた。

 あの時ののり面崩落事故に比べたら、東日本大震災や、今回の地震による盛土崩落事故は、もっと大規模のように思えるが、NEXCO東日本は、どちらも驚くほど早期に復旧させている。

 我々が抱く「遅いなぁ」とか、「もう復旧したの!?」といった印象は、あくまで印象に過ぎないが、やはりそこには、大きな違いがあるのではないか。なにしろ復旧までに要した日数が、1ケタ違うのだから。

 思えば、こういった高速道路の災害復旧工事で、初めて「もう復旧したの!?」と感じたのは、2009年に発生した、東名高速道路の盛土崩落事故だった。

 2009年8月11日、駿河湾を震源とするマグニチュード6.5の地震が発生。震度6弱の揺れによって、東名高速の牧之原SA近くの盛土のり面が崩落し、走行中のクルマが転落しかねない状態になった。

 現場の映像を見た私は、「下手すれば数カ月通行止めになるんじゃないか」と思ったものだ。

 ところがそこからが早かった。NEXCO中日本は昼夜にわたって応急復旧工事を進め、8月15日の24時、つまり地震の4日半後には、通行止めを解除したのだ。

 NEXCO中日本によれば、「新東名の工事現場からの大型建設重機と作業員の応援派遣など(163 社約 1100 人)、NEXCO 中日本グループ及び関連会社(約 1200 人)が一体となって、崩落の危険性の高い困難な施工状況下においても、迅速な応急復旧を実現」したという。

 この、あまりにも速い復旧に、誰もが「まさか!?」と思った。たまたま総選挙(8月30日)を控えた時期だったので、某有名コラムニストは、「これは間違いなく自民党の選挙対策だ!」と、見当外れな批判を展開したほどだ。

 もちろん、自民党がNEXCO中日本に、「選挙があるから早く復旧させろ!」と指示を飛ばしたからと言って、いきなり実現できれば苦労はない。軍隊が急に強くならないようなものだ。

2022年3月16日夜に発生した東北地震による亀裂も、16時間後には応急処置が完了し、一般車両の通行が可能になった。普段からの対策・準備ができているからこその速さだ(東日本高速道路(株)より提供)

■民営化後から大きく変わった質

 日本道路公団が分割民営化され(2005年)、NEXCO3社になったことで、なぜか災害復旧が非常に迅速になったのである。これはあくまで推測だが、日本道路公団時代と民営化後とでは、指揮系統の質が大きく変わったのではないだろうか。

 日本道路公団、公団はまさにザ・お役所であり、お殿様だった。現場で動く兵士、つまりゼネコンやその下請けの建設業者たちは、お殿様の言われたとおりにやるのみ。公団時代はそういうルールになっていたので、公団職員は職務に忠実だったに過ぎないが、緊急事態でも前例踏襲の慎重なるお役所業務を続けていたと思われる。

 談合(官製含む)もはびこっていた。建設業者側にすれば、順繰りで落札できれば確実に利益が上がるいっぽうで、現場の工事は、工法も含め、すべて「指示どおりに造って納品する」のが至上命題。そこには現場の創意工夫が入り込む余地はなかった。

 こういった親方日の丸の弊害により、日本道路公団はとんでもない負債を抱え、このままでは第二の国鉄になると言われるほど財務状況が悪化した。

 民営化後は、そのあたりが大きく変わった。官製談合は消滅し、真剣な入札合戦が行われるようなると同時に、建設会社側の提案でコストダウンが実現した場合は、インセンティブが与えられる制度が新設された。民営化委員会の答申が生んだ大きな成果である。

 当然現場は、さまざまな提案を行うようになる。NEXCOもそれを歓迎するという、いい循環が生まれた。

 民営化後しばらくは、過度な安値入札が頻発し、工事のクオリティ低下も心配されたが、その後赤字入札の歯止め策が講じられ、関係は安定した。

 その過程で、発注者であるNEXCOと現場の建設会社の間には、「ともに高速道路を作って守る仲間」という、公団時代にはなかった連帯感が生まれたのではないか。

 NEXCOが東、中、西の3社に分割されたことで、お互いに競争意識を持つようになった面もあるだろう。中日本がいいところを見せれば、東や西だって頑張らないわけにはいかない。

 そういった要素が最高の形で発揮されたのが、2011年の東日本大震災時だった。NEXCO東日本は、常磐道の大規模な盛土崩落(延長150メートル)に際し、わずか6日間で復旧させた。

 その時のストーリーを読めば、NEXCOの現場担当者が指揮官として的確な判断・指示を行い、大きな成果を上げたことがわかる。軍隊は急には強くなれない。日頃の訓練が重要なのはもちろんだが、指揮系統の整備もまた、同等かそれ以上に重要なのである。

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