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【編集部より】「経済安全保障推進法案」が11日参院で可決・成立。日本でも各種政策が本格的に遂行されようとしています。他方、法案に反対していた一部の人たちは「日本版の軍産複合体を作ろうとしている」などと喧伝し、推進する保守派の人たちも「中国の軍事的・経済的な台頭をやっつけるために経済安保は必要」といった認識をしているようにも思えます。

公開情報をもとに、近現代史の知られざる側面に光を当て、実相を浮き彫りにしてきた評論家、江崎道朗さんが語る経済安全保障のリアルとは?

江崎道朗(えざき・みちお)1962年生まれ。評論家、情報史学研究家。九州大学文学部哲学科を卒業後、月刊誌編集長、団体職員、国会議員政策スタッフを務め、外交・安全保障の政策提案に取り組む。2016年より評論活動を開始。2020年、倉山満らとともに「救国シンクタンク」を設立、理事に就任。主著に『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』(PHP研究所)、『日本は誰と戦ったのか』(ワニブックス)、『日本人が知らない近現代史の虚妄』(SBクリエイティブ)などがある。

「経済安保」アメリカの真の目的とは

――経済安全保障推進法案が衆院・参院を通過しました。

【江崎】非常に画期的だったと思います。この法律は、日本の先端機微技術の流出防止、外国政府によるサプライチェーンを逆手に取った強圧外交への対応、重要インフラの確保、そして安全保障に関わる科学技術及び産業支援などを目的としたもので、安全保障の観点から経済、科学技術をいかに守るのか、包括的な枠組みが構築されていくことになります。

――経済安保が重視されるようになった背景に「米中対立」があると言われます。

【江崎】そうなのですが、気がかりなのは、この米中対立をめぐるアメリカ側の政策意図について多少誤解があるように思われる点です。アメリカは経済安保を使って市場や取引から中国に関連するものを完全に排除しようと考えているわけではありません。米中分断、デカップリングが経済安全保障の目的ではない、という点に注意が必要です。

大きな流れとしては、中国が2001年にWTOに加盟して以降、世界の工場として台頭し、さらには経済的に発展を遂げてきました。当初アメリカは、中国が経済的発展を遂げることによって、民主的な国家に変化していくだろうと期待していました。ところがその期待は完全に裏切られ、トランプ政権時の2017年12月に公表した「国家安全保障戦略」で、中国とロシアを力による「現状変更勢力」と位置づけ、対中政策を変更しました。

この対中政策変更の詳細は2020年5月に公表した「中国に対する米国の戦略的アプローチ」(United States Strategic Approach to the Peopleʼs Republic of China)に示されており、1979年の米中国交樹立以降の対中関与政策は誤り(false)であった、と断言しています。そして今後は「対中競争政策」に切り替えるとしており、その競争の主要分野が経済・技術です。

経済や技術の分野でアメリカの優位性が脅かされるとどうなるか。当然のことながら、軍事的優位も維持できなくなってしまいます。アメリカがスーパーパワーとしての地位を失えば、国際秩序が中国やロシアによる全体主義的・専制主義的なものに塗り替えられてしまいかねない。だから、「中国に勝つための法整備をしましょう。同盟国の皆さんも一緒にやりましょう」というわけです。

霞が関の「発想の転換」を促す

――そうしたアメリカの対中政策の転換を受けて、日本でも「経済安全保障が必要だ」という流れになった。

【江崎】はい。自民党の「新国際秩序創造戦略本部」が2020年12月に公表した「提言『安全保障戦略』の策定に向けて」にも〈わが国の「国家安全保障戦略」で定義された国益を経済面から確保するものでなければならない〉とあります。これまで、日本の省庁で「安全保障」を意識していたのは外務省と防衛省、海上保安庁ぐらいでした。法務省、警察には「治安」という発想はありましたが、これは安全保障とは少し違います。

y-studio/iStock

今後は、経産省はもちろん、科学技術を所管する文科省も、インフラを所管する国交省も、通信を所管する総務省も、安全保障という観点を持ったうえで政策立案をせよ、と指示するために、この経済安全保障推進法ができたのです。

そして各省に経済安保担当室を作り、担当官を置き、予算をつける。それによってはじめて組織が機能し始めます。官邸の国家安全保障会議と連携しながら、「どの技術の流出に気をつけるべきなのか」「通信インフラで危険な機器はないか」などを検討し、政策立案できるようになる、というわけです。

メディアの解説では、一般に関係のあるところとして経済界、産業界への影響が取り沙汰されがちで、確かに影響はあるのですが、同時に霞が関側の発想の転換を促す法案でもあるんですね。

自由主義陣営は「数の力」で負けている

――経済安保推進法の柱には、サプライチェーンの強靭化や、技術開発支援などが含まれています。

【江崎】これは自国の産業や技術を守るためだけにとどまらない理由があります。日本は、今でも世界の経済大国です。昔に比べれば衰えた面はありますが、アメリカが構想するグローバルサプライチェーンの再構築において、世界第3位の経済大国である日本の存在は大きい。自由主義に基づく国際秩序を守るためにも、日本の技術を守り、発展させないといけないわけです。

中国は一帯一路構想によって、自国の味方を増やそうとしています。すでに、味方の「数」だけで言えば中国の方が優位に立っていて、たとえば2019年10月、国連総会第三委員会で欧米が中国によるウイグル人弾圧非難声明を出した際に賛成は23カ国で、アジアでは日本だけ。一方、これに対抗して中国を支持した国は54カ国に上ります。国連での数の戦いで自由主義陣営はすでに中国に負けている。

一方で、中国寄りの国はアフリカなどで、経済力などの国力がまだ十分に備わっていない。だからこそ経済力や技術力を擁する日本やイギリス、ドイツの行く末は、アメリカにとって決定的な意味を持つ。国力のある国が自由主義を掲げ、人権を尊重するという現在の国際秩序を維持発展する側につくこと、これがアメリカにとっても決定的に重要ですし、日本にとっても当然重要なのです。

自国の経済発展が第一

――あくまでもアメリカと価値観を同じくする、国力のある国々が協力できる体制を作ろう、と。

【江崎】多くの国をアメリカ側の陣営に引き入れるためには、何よりもアメリカ自身が豊かでなければならないんです。経済的にやせ細っていく国とは、誰も組もうとしませんよね。「こちらのルールでやればもっと繁栄できる」と思わせなければならない。だからトランプ政権時の「国家安全保障戦略」第二章に「アメリカの繁栄の推進」を掲げているのです。

繁栄を遂げるための課題として、具体的に国内経済活性化、自由なルールを共有できる国際関係、イノベーション、知財保護、エネルギー支配の5つを挙げています。これを「対中競争政策」に沿ってみれば、アメリカは自国経済を発展させながら、中国に対して知的財産の概念を理解させ、不公平な貿易慣行をやめさせたい。そのためにどうするか、というのが議論の核だとわかります。中国との取引を全面的にやめてアメリカ経済が沈むようでは、経済安保の意味がありません。当然、日本も経済安保を、自国の経済発展を第一に考えていくことが重要です。

トランプ氏の“強面”以上に繊細な?経済安保の世界(Gage Skidmore /flickr)

――そこを勘違いして、「中国に進出しているからあの企業は売国的だ」とか「中国の会社と関係があるなんて不届きだ」というだけの発想になってしまうと、日本経済の首を絞めかねません。

【江崎】全くです。例えば民間の規制に対しても、トランプ政権時にアメリカで「中国のファーウェイ機器を排除しろ」という大統領令が出ました。そこで日本でも経産省があるメーカーに対して「ファーウェイを使っていないか。もし使っていたら、アメリカのマーケットからはじき出されるぞ」と警告したんです。言われたメーカーはすべての関連会社の端末や危機を調べ、ファーウェイ製品があれば差し替えるということをやりましたが、莫大なコストがかかりました。そのメーカーは大手だったから耐えられましたが、普通の会社であればつぶれてしまう。ましてや直ちに「中国企業」「中国製品」とのかかわりを断て、なんて言い出したら大変なことになります。技術流出を抑制しなければならないですが、そのコストのために民間企業への負担を増やして日本経済を悪化させてしまうということになれば本末転倒です。

公刊情報把握こそインテリジェンスの基本

――経済安保、である以上、あくまでも「経済発展」に資することが大前提。

【江崎】日本でも「トランプは米中デカップリングで中国を締め上げようとしている英雄だ。一方、バイデンは対中姿勢を緩める売国奴だ」などという雑な議論をしている人たちもいます。確かに共和党の一部の対中強硬派はそういっているかもしれませんが、トランプ政権当時の国家安全保障戦略にはそんなことは一言も出てきませんし、バイデン政権になっても中国やロシアを「最大の脅威」とみる姿勢は変わっていません。これもバイデン政権が2021年3月に公表した「暫定国家安全保障戦略指針」に明確に示されています。議論は、少なくともこうした確かな情報を踏まえたうえで行うべきでしょう。

このことは新刊の『米中対立と経済安保』(扶桑社)でも指摘しました。新著では日米中をはじめとする各国の戦略や学術的に耐えうる専門家の方々の指摘を含む公刊情報をふんだんに盛り込みましたが、その理由は「公刊情報の把握がインテリジェンスの初歩の初歩だから」です。