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 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、全日本ツーリングカー選手権(JTCC)を戦った『アルファロメオ155』です。

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 アルファロメオ155というとモータースポーツファンのみなさんは、ドイツツーリングカー選手権(DTM)に参戦していた“あのマシン”を思い浮かべるのではないだろうか。

 DTM(のちにITCへと統合)は、1993年から1996年までクラス1(といっても近年のスーパーGTで採用された車両規則とは異なる)というFIAの制定したツーリングカー規定に準ずる車両で争われた時代があった。

 アルファロメオ155は、そのクラス1規定初年度である1993年のシリーズを席巻したのだが、クラス1のひとつ下であるクラス2ツーリングカーにおいてもアルファロメオ155は、強さを見せていた。

 クラス2とは、イギリスでいえば英国ツーリングカー選手権(BTCC)、日本でいえば全日本ツーリングカー選手権(JTCC)など世界各国で隆盛した2.0リッターNAエンジンを積む主に4ドアセダンのツーリングカーのことである。

 アルファロメオ155は、このクラス2戦線に1994年より本格的に参戦する。特に同年のBTCCではアルファロメオ155を駆るガブリエル・タルキーニが開幕5連勝を含む9勝を記録してチャンピオンを獲得した。そんなBTCCで脅威の強さを見せていた1994年にアルファロメオ155は、日本のJTCCにも姿を現した。

 現在は、大阪でアルファロメオ、フィアットなどの専門ショップを営むユニコルセがイタリア本国のアルファコルセと交渉し、ワークスマシンであるアルファロメオ155 D-2シルバーストンを購入した。アルファコルセに紹介されたイタリア人スタッフとドライバーには、イタリアF3でチャンピオン経験を持つジャンバティスタ・ブーシを擁する体制でJTCCに挑んだ。

 マシンの到着が遅れたため、初めてのエントリーはシリーズが後半に入った第11/12戦のTIサーキット英田(現:岡山国際サーキット)となった。しかしこのTIでは、エンジントラブルのため予選に出走することができなかった。

 スペアエンジンがなかったためにTIラウンドでの出走を断念。次の筑波サーキットで行われたラウンドもスキップした後、本格的な初陣は第15/16戦の仙台ハイランド戦になった。ここでアルファロメオ155は、速さを見せて第16戦でいきなり表彰台争いを展開。結果は4位フィニッシュを果たした。

 これで勢いをつけて1995年にはフル参戦となるはずだったが、1995年1月に発生した阪神・淡路大震災の影響で活動を断念。ファンの声に応えて数戦に参戦はしたが、震災の影響も大きく、好成績を残すことができずに、この年限りでアルファロメオ155のJTCC参戦は終了となった。

1995年の富士スピードウェイで開催されたインターTECでは、ジョルジョ・フランチアがステアリングを握った。
1995年の富士スピードウェイで開催されたインターTECでは、ジョルジョ・フランチアがステアリングを握った。