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安倍政権時代、国家安全保障会議(NSC)創設を主導し、国家安全保障局次長を務めた兼原信克さん(同志社大学特別客員教授)に、日本の安全保障を本音で語っていただくシリーズ。最終回は、急ピッチで進む経済安全保障の体制にあって兼原さんが「ごっぽり抜け落ちている」と危惧するサイバーインテリジェンスの課題を論じます。(3回シリーズの3回目)

Kseniia Ivanova /iStock

新技術は『鬼滅の刃』に学べ

――兼原先生はご著書で、よく『鬼滅の刃』の登場人物などをたとえに出されています。『核兵器について、本音で話そう』(新潮新書)では、将来的な米軍の戦い方を『鬼滅の刃』のキャラで体内に脳が5つあり、体から無数の鞭が出せる「鬼舞辻無惨」に例え、「中国のA2/AD(接近阻止・領域拒否)戦略を突破するために、遠くから攻撃し、司令部を複数に分け、どこかがやられても反撃可能な体制にするのではないか」と説明されていました。

兼原信克(かねはら・のぶかつ)1959年山口県生まれ。東京大学法学部卒業後、外務省入省。北米局日米安全保障条約課長、 在韓国日本国大使館公使、内閣官房内閣情報調査室次長、外務省国際法局長などを経て、内閣官房副長官補兼国家安全保障局次長。現在は同志社大学特別客員教授。近著に『安全保障戦略』(日本経済新聞出版)『歴史の教訓』(新潮新書)、共著に『自衛隊最高幹部が語る令和の国防』(同)など多数。

【兼原】学生に説明するのにいいと思って全23巻を2、3回読み返しましたよ(笑)。アメリカのDARPA(国防高等研究局)も日本のアニメや漫画を研究しているというし、ペンタゴンの連中も結構熱心に読んでいます。

――SFプロトタイピングという手法もありますから、未来を考える際にフィクションの力は役に立つ。

【兼原】米軍は30年後の戦争の形を考えていますからね。アメリカでは、先進的を通り越して奇抜なアイデアを持つ技術者・研究者にもお金を回す仕組みができています。科学技術予算として20兆円持っているうちの10兆円を国防省が切り盛りしています。ベンチャー育成資金も出しているところがポイントで、資金を提供したうえで、マーケットで技術を試し、成熟させる。モデルナワクチンもそうやって開発されました。技術が成熟してきたら、それをどう軍事技術に生かすかを、専門の研究所が研究し、軍事技術で使えるとなったら、軍需産業に流れていく。そういうサイクルができているんです。科学技術が戦争を制し、ひいては国の趨勢を左右するんですから、当然です。

そうでなければ、技術は発展しませんよ。民間は採算が取れなければ投資しない。だから各国では安全保障を名目にして政府がお金を出してリスクを引き受け、技術開発をやってもらって、社会での実装化を図っている。狭い意味の軍事技術の話ではありません。将来のゲームチェンジャーとなる科学技術全般の話です。日本も遅まきながら、これをやらないと。

活用されないスパコン、悲しきデジタル庁

――日本で有望な分野として量子コンピュータ技術が挙げられていますね。

【兼原】そう。量子コンピュータのうち、「量子アニーリング方式」と呼ばれるものは東京工業大学の西森秀稔教授と門脇正史氏が提唱した理論に基づいていて、日本人が考え出したものです。今のコンピュータの1億倍速く計算処理ができると言われ、次世代コンピュータの開発では各国が競い合っています。その一歩手前がスーパーコンピュータで、日本も「富岳」が世界最高水準と言われていますが、富士通の方に聞いたところ、国内でほとんど誰も使っていないという(笑)。スパコンは、サイバーインテリジェンスでは必須の装備です。それが日本では官民を問わず全く社会実装されていないんです。

――コロナ禍の報道で「富岳によるウイルス拡散シミュレーション」の映像は見ましたが……。

【兼原】 政府の中でスパコンを昔から一番使っているのは気象庁です。ファイブアイズ(英米加豪NZの国々。第二次大戦時代からのシギント協力のためのクラブ。5カ国あるのでこう呼ばれる)の人たちと話している時に「日本政府ではサイバーセキュリティのためにスパコンなんて使ってませんよ」と言うと本当に驚きます。彼らが「ではデジタル庁は何のために作ったんだ」と聞くから、「デジタル庁はお年寄りが日常生活で便利にiPadを使えるようDXに励んでいるのです」と返しました。悲しいですね。

――……笑えない現状ですね。

昨年9月に発足したデジタル庁だが、早くも機能不全に直面…(公式サイト)

ウクライナのサイバー戦体制、日本もできる

【兼原】サイバー戦争にも備えなければなりません。2014年にロシアのハイブリッド戦でクリミアを盗られたウクライナは、これはまずいと危機感を持ってアメリカに頼み、サイバーディフェンス体制を整えてきました。だから今回はロシアも同じようにはいかなかった。日本も見習わなければなりません。ウクライナにできることが、日本にできないはずがありませんから。

現在、自衛隊、警察とそれぞれにサイバー担当部署はできていますが、まだまだ足りません。それに、日本全体の重要インフラは誰が見ているのか。政府の誰も責任をもって見ていません。電気、通信とそれぞれ今は事業者の責任になっていますが、本来は国が統括して見なければならない話でしょう。これは自衛隊や警察だけの仕事ではない。内閣官房が音頭を取って、自衛隊、警察のほかに、総務省、経産省、民間技術者を入れて国として制を整えなければ話になりません。総理官邸にスパコンを装備した数千人単位のサイバー情報センターが要る。内閣衛星情報センター並みの、内閣サイバー情報センターが必要なのです。

「日本のサイバー体制はマイナーリーグ」

――まだまだ全然足りません。

【兼原】日本政府は一つの役所で済むことは結構いろいろ対処できるんですが、各省庁が分担して一つの体制を作る、というのがとても苦手です。縦割りは日本政経済府の宿痾です。政治主導になりましたが、まだまだ役所の縦割りは強い。特に安全保障系の役所はこれまで隅に追いやられてきました。防衛省は民間の技術に関心を払う財政的余裕がなかった。

経産省は多額の予算をがっぽり取って動かすのはうまいけれど、まだまだやっと軍事や防衛に関心を向け始めたところです。安保関係の官庁と経済関係の官庁には、戦後長い間に生じたカルチャーギャップがあるので、そこを埋めながら全政府を挙げてやらないといけません。その前に、特に経済官庁には「何が危険なのか」を知る安保リテラシーが必要ですが。

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――体制を整えるのが先か、危機意識を持つのが先か……。

【兼原】走りながらやるしかないでしょうね。国家安全保障局前局長の北村滋さんは警察出身で、「とにかくやれることからやるぞ」と経済安保関連法律を作っていった。大きな前進だと思います。ただし、今回ごっぽり抜け落ちているのが、サイバーセキュリティです。最近訪日したブレア米元国家情報長官に言わせれば、日本のサイバーセキュリティに関する体制は「マイナーリーグだ」という。私たちは「よかった、リトルリーグって言われなくて」なんて言っていたんだけれど(笑)。それくらい、日本は遅れている。その自覚を持たなければなりません。

国民は「どう国を守るか」の議論を求めている

――世間的にはだいぶ安全保障の話ができるようになってきたなと思っていましたが、まだまだですね。

【兼原】 とはいえ、入り口の議論はできつつあるんじゃないでしょうか。国民の方も、「やるか」「やらないか」ではなく「どうやるか」「How to do it」の話を求め始めています。安全保障は国政の一丁目一番地です。国民の問題意識に応えられない政権、政党は、国政を担う資格はない。

あと10年もすれば、メディアも世間もガラッと変わるとは思います。古い読者に縛られて動きが取れない新聞も、変わらざるを得ない分岐点が来るでしょう。若い人の多くは新聞も読みません。大メディアが国民世論を僭称できる時代は終わりました。日本の世論は多様化し、成熟しています。質の高い議論を供給するところが勝つ時代が来るはずです。1周年を迎えたサキシルにもぜひ頑張っていただきたいですね。

――恐縮です。今回は数々の貴重なお話、ありがとうございました。

(終わり)