モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、『ニッサンR90CP』です。
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今からちょうど40年前の1982年に産声を上げ、世界中で隆盛したプロトタイプカーカテゴリーがグループCだ。このグループCは発足当初からしばらく、このカテゴリーの誕生と共に生まれたポルシェ956、そしてグループCの規定変更に対応し誕生した962CというポルシェのCカーがリードし続けていた。
それは世界のみならず日本においても同様で、世界から遅れること1年、1983年から全日本の耐久レースシリーズにポルシェが登場するとポルシェ956/962Cがずっとタイトルを獲得し続けていた(1984年を除く)。
しかし1990年、ようやくそのポルシェを破り、ついに全日本スポーツプロトタイプカー選手権(JSPC)の王座を獲得した日本車が現れた。それが『ニッサンR90CP』である。
当初ニッサンは、Cカーの活動を主にマーチの市販シャシーを使用し、それに自社で開発したエンジンを搭載して行っていた。しかし1989年になるとシャシー製作をローラへと依頼して、R89Cという新車を生み出す。
だがR89Cはローラが製作したカーボンモノコックの工作精度が悪く、ニッサン自身で手直したものの、満足いく性能を発揮できていたわけではなかった。そこで1990年に向け、ニッサンは自社の内製率を高めたニューマシン、R90CPの開発を決定した。
R90CPは、まず問題のあったモノコックをローラをベースとしながらも6割以上をニッサンのオリジナルで製作。R89Cが持っていたいい部分は、あえて引き継ぐ方向で作られていた。
そのモノコックについては前述の通り、ローラのものが残されたが、カウルについては完全オリジナルのものに変貌。アメリカのIMSAを走るニッサンのマシンのカウルを手がけた鈴鹿美隆によって、より揚抗比を意識し、さらにロングテール仕様を設けずともひとつのカウルで日本のサーキットもル・マンのサルトサーキットにも対応できるデザインとなった。
また搭載されるエンジンも『VRH35』という名称は変わらないが、開発者である林義正の思惑通り、ようやく“正式に”排気量が3.5リッターとなり、より進化を遂げていた。
こうして誕生したR90CPは、1990年のJSPC開幕戦でデビュー。このレースでトヨタの90C-Vに敗れてしまうも、第3戦から第5戦までは3連勝(第2戦は中止)をマーク。最終戦では再びトヨタに敗北を喫してしまうが、シリーズでは長谷見昌弘/アンデルス・オロフソン組のYHPニッサンR90CPが戴冠。ついにポルシェを破り、ニッサンが国産メーカー初の全日本チャンプに輝いたのだった。
国内に留まらずR90CPは世界の舞台でも活躍した。1990年のル・マン24時間レースではヨーロッパ、アメリカのニッサンチームがローラオリジナルのR90CKを用いて参戦するなかで、“日本陣営”としてR90CPもエントリー。内部分裂などさまざまな混乱があったなかで、長谷見/星野一義/鈴木利男の日本人トリオが駆るR90CPは予選3位から発進し、5位でフィニッシュ。日本で生まれた“CP”は世界で戦えるグループCカーへと進化していたのだった。