作家の百田尚樹氏(66)が25日のYouTubeの自身のチャンネルで伊藤詩織氏の事件に関して私見を語った。その中でTBSの元ワシントン支局長の山口敬之氏について4つのミスをしたとして、脇の甘さを指摘。決して間違いとは言わないが、事件を取材している者からすれば、切り込み方が不十分に思えてならない。
■百田氏が指摘「4つのミス」
百田氏は25日にライブで伊藤詩織氏に関する話題を扱った。当初は伊藤氏が衆議院議員の杉田水脈氏に対して損害賠償請求を求めた訴訟で一審で請求が棄却されたニュースについて語っていたが、後半からは伊藤氏と山口氏の係争について語った。
百田氏は争いのない事実のみを語るとし、その上で山口氏は4つのミスを犯しているとした。
(1)就職を世話をしてもらおうと意図する女性と2人で会い、飲酒したこと
(2)酔った女性を自分が宿泊するホテルに連れて行ったこと
(3)女性と性交したこと
(4)性交の際に避妊具を使用しなかったこと
その上で「このミスの中で、どれか1つでもなかったら、最初のミス1つめがなかったら2つ目も4つ目もない、ナンもない。…双方共に不運が重なったと思います」と私見を語った(以上、百田尚樹チャンネル・気まぐれライブ「伊藤詩織さんの杉田水脈議員に対して起こした裁判の判決について思うこと」 から)。
1点だけ指摘しておくと、(2)については、東京高裁は「控訴人(筆者註・山口氏)が、被控訴人(同・伊藤氏)を本件ホテルに同行したことは、被控訴人の酩酊状況を踏まえた対応であり、少なくとも被控訴人の利益に反するとまでは認め難い…」(東京高裁判決令和4年1月25日、以下、本件判決 p51 1行~3行)と判示している。
山口氏が同行させなかったら現在の事態を防げたという意味では百田氏の言うミスなのかもしれないが、酩酊した若い女性を目黒駅前に置いて自分はタクシーでホテルに戻った時に、たとえば伊藤氏が線路に転落して…という状況になればさらなる不幸、取り返しのつかない事態となってしまうことは考えに入れるべきである。
■ほしかった伊藤氏サイドからの視点
百田氏がどこまでこの事件を調べ、裁判資料を読んでいるのかは分からないが、若干、考察が浅いように感じる。上記の4つのミスについては、因果関係を考えればどれか1つでもなかったら今とは異なる事態になっていたことは指摘の通りであるものの、それが全面的に山口氏の責任であるかのような言い方には違和感を覚える。
山口氏の主張は、伊藤氏に誘われて性交をしたというもの。その際に、伊藤氏は私は不合格ですかと繰り返し言い、「就職活動についてまだチャンスがあるのであれば、こちら(筆者註・伊藤氏が寝ているベッド)に来てほしいなどと述べた」(本件判決 p15 8行~9行)とあり、事後のメールでも「あの時言ってた君は合格だよって、いうのはどういう意味なんでしょうか?」と書いて送信している。
伊藤氏が手酌でぐいぐいと日本酒を飲んで意識を失うほどの酩酊状態になり、当時の自宅は原宿とタクシーで送れる近い場所にあることを告げず(東京高裁の認定)、目黒駅で降車させることをためらわせるような状況になれば、ホテルに連れて行くしかない。4つのミスはミスとして認めるとしても、山口氏が能動的・主体的にそのような状況を実現させたかのような言い方には疑問が残る。
酩酊した女性を放っておけないという気持ちからの行動をミスと言うのは酷であり、タクシーでホテルに同行させたのは前述のように「少なくとも被控訴人の利益に反するとまでは認め難い」と、東京高裁も認めている。
そのため、山口氏サイドだけでなく、伊藤氏サイドから見て、そのような状況になったことの評価はどのようなものかを考え、言及すれば、視聴者から「さすが百田先生」と言われたのではないか。その意味で食い足りない話と感じた人は少なくなかったと思われる。
■同種の3つの事件
僕は、伊藤詩織氏vs山口敬之氏以外にも同種の事件を取材し、記事にしている。1つは連載でお届けしている「免職教師の叫び」。札幌市の中学教師だった鈴木浩氏(仮名)は、かつての教え子が中学時代から教師に性的被害を受けたと全く身に覚えのない被害を申告され、最終的に昨年1月に免職になった。
また、首都圏の私大で教授であったA氏は、鬱病と統合失調症の薬の処方を受けていた教え子のB子さんを学業だけでなく精神面でフォローを続けて卒業させた。しかし後にB子さんは「何度もレイプされた」と事実ではないことを言い出し、A氏は最終的に大学を去ることになった(参照・免職教師の叫び(32)君の気持ちはよく分かる)。
3つの事件に共通するのは、女性が性的被害を訴えているが、男性はそのような事実は全くないと否定していることである。男性側は潔白を証明するために「なかったことを証明する」に等しい作業を強いられるという点で、厳しい状況に置かれた。
3人の男性と実際に接してみると、皆、まじめで、他人のために何とか力になってやろうという思いを持つ、とても前向きな、いい人たちという点で共通している。その真面目さゆえか、相手のことを完全に信じて行動し、(自分は嘘はつかず、真実を言っているから、裁判でも分かってもらえるはず)といった考えが根底にあるように感じる。そのことが決定的な不利な状況を招いているように見える。
たとえば、伊藤氏の事件で「もし、山口氏が性交時の声を録音するような悪趣味の人間であれば、本件は全く異なる経緯を辿った可能性がある」ということである。その録音が裁判に証拠として出てきたら、密室での出来事でどちらが虚偽を言っていたかはすぐに判別する(参照・伊藤詩織氏はなぜ執拗に盗撮を疑ったのか)。
幸か不幸か、山口氏にはそのような悪趣味はなく、そのような悪人でもない結果、裁判は密室での出来事をめぐって最高裁まで争う結果になってしまった。密室で何があったのかは簡単には認定できず、また、どちらが虚偽を述べているのか下級審でも結論を出すのに相当苦しんでいるが、これから始まる上告審で「正直者がバカをみる」という結果にはなってほしくない。その意味で、僕は日本の司法を信じている。
■世論の怖さと現在進行形の人権侵害
3つの事件を取材して感じるのは、世論の怖さである。大学教授だったA氏以外の2人の男性はどんなに「なかった」と主張してもSNSはもちろん、メディアまでが男性を袋叩きにする(A氏の事件はマスメディアでは大々的には報じられていない)。
もし、山口氏の主張が全面的に正しかったら、鈴木氏の言い分が全て真実であったら、メディアはとんでもない人権侵害をしていることになる。就職のため奔走する若い社会人、あるいは真面目に学ぼうとしている学生のために力を尽くしたところ、ある日突然、メディアから性犯罪者の如く扱われ、職を失うというバカなことが起きていいはずがない。
冒頭で示した番組で、百田氏は伊藤氏と山口氏の事件を、ボタンのかけ違いがあって、それが徐々に広がり大トラブルになったと話した。それはある意味、真実であると思うが、そのように矮小化するのは好ましくない。
見過ごせない人権侵害が発生している可能性があり、それは現在進行形で続いているという事実に目を向けてほしい。高名な作家が「男女のトラブル」「ボタンのかけ違い」といった野次馬的な感想を口にすることは、国民に対して誤ったメッセージを送ることになりかねない。その点を意識して百田氏には情報発信をしてほしいと一国民として願っている。