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 日本赤軍の重信房子元最高幹部(76)が28日、懲役20年の刑期を終えて出所した。出所に際し、手記「再出発にあたって」を公表。被害を受けた人々へ謝罪をするとともに、今後については、できることは能力的にも肉体的にもないとして違法な活動には関わらない考えを示した。しかし、直近の活動や出所前日に刊行された著書「戦士たちの記録 パレスチナに生きる」を読む限り、出所後の反省の弁は信用できない。捜査関係者は重信元幹部の監視を続ける見込みで、社会の安全のためには当然のことと言える。

■出所後に謝罪の真意

重信房子元最高幹部(重信房子氏FBから)

 重信元幹部は1974年のいわゆるハーグ事件に関与したとして、殺人未遂などで懲役20年の判決を受けて服役していた。出所後に囲み取材に応じ「自分達の戦闘を第一にしたことによって、見ず知らずの無辜の人たちに対しても、被害を与えたことがありました。古い時代とはいえ、この機会にお詫びします」などと語った。

 また、報道陣からの事前の質問に対して文書で回答しており、その中には以下のような文言がある。

「私は、他人の旅券を不正に取得・使用したことについては、自分の活動のためにと、他人を踏みつけにしてしまったこと、人間としても恥ずべき行為であり、被害者に謝罪してきました。許して下さった方も、そうでない方もおりました。このことは、これからの再出発に、いつも心に刻んでいたいと思っています。」(産経新聞電子版・「自分が『テロリスト』と考えたことない」重信元最高幹部の質問回答全文

 70年代の政治的状況を知る人からすれば、「かつて”魔女”と呼ばれた女性も、20年の刑務所暮らしで牙を抜かれたか」「彼女も人間だったか」といった感想を持つかもしれない。あるいは服役中に癌が発見され、治療を行なっていたこともあり弱気になったのかと思われるかもしれない。

 しかし、重信元幹部の表面的な反省の言葉はそのまま受け取るべきではない。取材で語った謝罪は被害を与えた人々に対して向けたもので、反社会的な行為で社会全体にかけた迷惑に対して反省を述べたものではない。しかも、この類の反省は、既に公判段階で述べている。

「武装闘争が盛んに戦われていた時代…『人質作戦』などの形態をとって闘いました。こうした闘いで直接当事者でない人々を戦闘に巻き込み、精神的肉体的苦痛を与えてしまいましたことを謝罪します。」(2001年4月、日本赤軍の解散時の発表、著書・戦士たちの記録 パレスチナに生きる 第2章ナクバの記憶 11 それから より抜粋)

「(旅券不正使用に関して)手配されていた自分の活動の自由を確保するために、他人の名前・戸籍を盗用して旅券取得を行いました。弱者の方々の名義を使用したことは、反社会的のみならず人として恥ずべき行為であったと反省しています」(第1審最終意見陳述2005年10月31日から、同書同章より抜粋)

 ①についてはハーグ事件などで大使館員等を人質にとって命の危険に晒したことなどについて謝罪したもの。②は旅券法違反に関するもので、盗用した相手に対して謝罪するもので、しかも社会的弱者の名義を盗用したことを謝罪するものでしかない。社会的弱者ではない者からの盗用であれば、謝罪する必要はないと考えている可能性はある。

■26人の犠牲者の事件を美化

 このように重信元幹部が囲み取材で明らかにした謝罪は、公判段階で述べていた謝罪の域を超えるものではない。矯正施設に入る前の段階での謝罪を、刑期を終了した段階でも超えることがなかったことは、矯正施設にいた20年間で然るべき矯正ができなかったことを意味する。

 もともと、重信元幹部はハーグ事件について無罪を主張しており、矯正施設に入っても反省などしないことは予想がついた。実際、出所前日の27日に刊行された前出の著書「戦士たちの記録 パレスチナに生きる」(幻冬舎)を読むと、1972年に赤軍派の3名によるテルアビブ空港乱射事件について、26人の犠牲が出た凄惨な事件に関わらず、それを美化する記述をし、射殺などで落命した2人のテロリスト(奥平剛士、安田安之)に関して以下のように記述している。

 「どんな逆境でも理想を持ち続ける限り、もっと良い人間の世界を開くから。地獄でもまた、革命をやろう、待っている…。リッダ闘争を闘い抜いた戦士たちの声が今も聞こえる。」(戦士たちの記録 パレスチナに生きる 第2章ナクバの記憶 11 それから より)

 リッダ闘争とはテルアビブ空港乱射事件について、日本赤軍などの関係者が用いる用語で、テルアビブ・ロッド空港の「ロッド」の現地読みである「リッダ」での闘争という意味とされる。

 また、公安調査庁のHPでは、重信元幹部が服役中も同志に対してメッセージを発し続けていたことが明らかにされている。

「2015年(平成27年)以降も,「リッダ闘争」を記念する集会が都内で開催されており,同集会では,重信房子が,テルアビブ空港乱射事件の実行犯である日本赤軍メンバーをたたえる声明を寄せている…」

「重信は,2020年(令和2年)3月,国内で服役中の日本赤軍メンバー・泉水博が刑務所で死去したことを受け,支援団体の機関紙に追悼メッセージを寄稿した。このように,日本赤軍は,最高幹部・重信らがテルアビブ空港乱射事件を正当化し続けていること,組織として武装闘争を放棄したことを示す事実もみられない…」(ともに公安調査庁・赤軍派(7)最近の主な活動状況

 このような事実を見る限り、76歳の老テロリストは20年の服役でも全く改心していないと言って差し支えない。

■不思議なカリスマ性

出所した重信房子元幹部(ANN news CH画面から)

 重信元幹部がその容姿も加味されてカリスマ性があったのは事実。その出所にあたっては「これを伝えるメディア報道には、奇妙な期待や興奮が滲み出ていた。」(産経新聞電子版・重信房子氏の出所に興奮…メディアの奇妙さ 飯山陽)とする声があるのは、そうしたカリスマ性の一端を示すものであろう。

 個人的な話をすれば、僕は高校時代に左翼運動に興味を持ち、当時の資料を読む中で重信房子元幹部の存在を知った。当時の雑誌や新聞で見た写真の第一印象は「綺麗な人だな」「どうしてこんな綺麗な人が、こんなバカなことをしているのか」というものであった。おそらく大方の人がそう感じるであろう。

 そうした思いは、2000年11月に重信元幹部が逮捕された際に吹き飛んだ。写真で見る”美人革命家”とは似ても似つかない55歳の中年女性が手錠で繋がれた両手を高く掲げ「戦う!」と叫ぶのを見て、思わず失笑させられた人は少なくないと思われる。(この歳になっても、まだ、そんなことを言ってるのか)(55歳で中2病か)といったところであろう。

 それから22年、さらに年齢を重ねて70代も半ばとなり、その姿は20代の頃からは想像もつかないものとなったが、頭の中身は70年代から変わっていない。それが美しかった頃の写真と結び付けられ、前出のカリスマ性に繋がっているのかもしれない。

■動向を注視し警戒を

 重信元幹部は、今でも社会に危険を与える可能性があるテロリスト予備軍と考えられる。出所後は「まずもって、(癌の)治療と、リハビリに専念する中で、世界・日本の現実を学び「新しい生活様式」を身につけたいと思っています。」(産経新聞電子版・「武装斗争路線間違っていた」重信元最高幹部の手記全文)としているが、素直に受け取ることはできない。

 報道陣からの質問への回答では「きちんと罪を償った以上、公安警察や、関連の者たちに、私のこれからの新しい生活の邪魔をしてほしくありません。尾行したり、マスコミを煽るような『危険視』は許されて良い筈がありません」(産経新聞電子版・「自分が『テロリスト』と考えたことない」重信元最高幹部の質問回答全文)としているが、それは尾行されるような行為に及ぶ可能性を示唆しているように思える。

 こうした事情からか、重信元幹部の出所の際には捜査関係者の姿があり、警視庁などは今後の動向などを注視し警戒を続けるという(NHK・日本赤軍の重信房子元最高幹部 20年の刑期を終えて出所)。

 至極当然のことである。