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手強かった菜園ライフ。そして始まった果物との暮らし

 自宅から5分ほどのちょっとした土地で野菜などを育て始めたのは10数年前。当初、いろいろ植えていたものの、土が悪いのか、思うような収穫には至らなかった。市街化調整区域で、もともと耕作地ではないから仕方がないといえば仕方がない。あっちこっちに葉を広げまくったカボチャも、収穫できたのはソフトボールにも満たないチビちゃんだけ。ほっこり煮上がって夕餉を飾るはずが、ハロウイーンに玄関の隅を飾るのが関の山だった。

かつての菜園は、今や、夏になると密林のような自称果樹園に。脇にクルマを乗りつけ、荷卸しをしたり、収穫を積み込んだり…

 キュウリもナスもトマトも似たり寄ったりで、とてもじゃないが、Eテレの園芸番組のようにはいかなかった。食卓を飾ったのはごく僅か…プロが作るような出来は期待していなかったものの、溜息が出るほど貧相で味も悪い。

最初、無残な状態だった土。毎年、腐葉土や有機肥料を与えてきて、少しずつそれっぽくなってきて、ミミズも増えたけれど、まだまだ…
農薬はほとんど使わないから、鬱蒼と茂った中にはいろいろな生き物が潜んでいて、たまにびっくりするような出会いがある(笑)

 実は、この土地と出会う前、クルマで10分ほどのところにかなり広い土地を借りて、やはり菜園の真似事をやっていた。さすがに手作業では追いつかないので小型の耕運機も導入…元々農地だったので土がよかったのか、何を植えても豊作で、食べきれないほどの実りをもたらしてくれた。キュウリやトマトなどはもちろん、水菜もアスパラガスもイチゴも、カボチャも、豆類も、ジャガイモも…。玉ねぎは、採りたてにかぶりつくと砂糖漬けかと思うほど甘かったし、白菜は葉を折ると水が滴った。唯一うまくいかなかったのは蕎麦だ。自製の粉で蕎麦を打つ!と意気込んで、ヨード卵の養鶏場からもらった極上の鶏糞や、馬糞、腐葉土を大量にすき込んだが、花は見事に咲いたものの実が入らず、まったくの空振りに終わった。蕎麦に過分な肥料は禁物…やせた土地のほうがいいと聞いたのはずいぶん後のことだ。

 その頃は、やはりステーションワゴンのシトロエンXM BREAKを相棒としていて、広大なカーゴルームが菜園ライフを支えてくれた。大量の肥料や農具の数々、ロールで購入した防虫シートや長尺の支柱はもちろん、小型の耕運機まで難なく運んでくれたのだ。現在に続く、メルセデスのEクラスのワゴンと暮らすようになったのは、その菜園から離れる頃だったが、菜園はもちろん、ロケ仕事やキャンプ、釣りなどでもLサイズのワゴンの便利さが身に沁みついていたので、同じクラスを選んだのである。

かつては、シトロエンのXM BREAK、現在はメルセデスのEクラスのワゴン…Lサイズのステーションワゴンの広大なカーゴルームが、畑や果樹園遊びを支えてくれた

 さて、今の土地は何を植えてもうまくいかなかった。残土なども運んで造成された土地なので、掘り返すと見るからに栄養のないパサパサした土が現れ、農作に向いていないのは素人目にも明らかだった。それでも、いろいろな肥料、腐葉土を施していくと、年々ミミズも増え、それらしい土になっていったのだが、野菜たちはいい顔をしてくれない。

家族と知人友人が楽しめる程度の収穫があればいい……そんな程度の気楽なもの

 もうひとつ厄介な問題があった。それは雑草で、6月の声を聞くと、ものすごい勢いではびこる。なかなか育たない野菜を横目に彼らは活き活きと葉を伸ばし、施した肥料もすべて横取りしているのではないかと思えるほどだった。その繁茂で3日もすれば眺めは変わり、1週間空けたら、リカバリーはかなり厳しい。電動カッターで葉や茎は刈れるとしても、地中に伸びた根はみっしりと絡み合って、掘り起こすのに一苦労。ひと冬越してしまうと、それが不織布のようになり、野菜の根の生育を阻害する。何年かするとこの闘いにも疲れてしまって、野菜作りを続けていくモチベーションが保てなくなった。その少し前に長年勤めた出版社を辞め、いくばくかの自由な時間を手に入れたはずなのに、それでも雑草と闘い続けようという気にはならないほど手強かったのである。
 リタイヤの身になって、それこそ晴耕雨読の生活でも送れればどうにかなるかもしれないけれど…いや、それでもまっぴらごめん。菜園ライフは風前の灯となった。

遊びだから無理は禁物。日によっては腰かけている時間のほうが長いことも…(笑)

【筆者の紹介】
三浦 修
BXやXMのワゴンを乗り継いで、現在はEクラスのワゴンをパートナーに、晴耕雨読なぐうたら生活。月刊誌編集長を経て、編集執筆や企画で糊口をしのぐ典型的活字中毒者。

【ひねもすのたりワゴン生活】
旅、キャンプ、釣り、果樹園…相棒のステーションワゴンとのんびり暮らすあれやこれやを綴ったエッセイ。