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爆心直下となった細工町一帯の廃虚。左に見える突き出た建物の右隣が、爆心地となった島病院。右端は燃料会館(現在のレストハウス)。山崎さんが1945年9月4日に撮影 1945年8月30日、陸軍省の派遣で広島市に入った広島戦災再調査班には、医学者に加え、残留放射線を調べる専門家がいた。その一人が原子…