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吉山恵(さとし)さんは進駐軍の通訳として働いていた。男性2人が焦土と化した街を見下ろす写真はこの頃に撮られたものとみられる。その後、母久子さん(102)の出身地・福岡県内で短期間暮らした際、戦争に翻弄(ほんろう)された自分の姿と重ね合わせたのか、戦争孤児3人を家族に迎え入れた。 1948年…