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今年3月末にテレビ朝日のアナウンサーを退職した富川悠太氏が「トヨタ自動車所属のジャーナリスト」を名乗ることを自ら宣言した。それを行った富川氏と、受け入れたトヨタの判断は、ジャーナリズムの在り方を冒涜するものであり、かつ、世界の常識からも大きく逸脱している。

新会社のサイトでも富川氏は「ジャーナリスト(トヨタ自動車所属)」と自己紹介。(「オフィス・プレンティージャパン」サイトより)

「トヨタイムズ」に秘めた野望

最初に断っておくと、職業選択は自由なので、富川氏がテレビ朝日を辞めて他の職業に就くことは何の問題もない。その知名度を生かしてトヨタの広告塔になること、いわゆる「タレント活動」に転じることも職業選択の自由の域に入る。

たとえば、トヨタはオウンドメディア「トヨタイムズ」で決算や商品などに関してニュース仕立てにして報じている。そこに香川照之氏のように、「ジャーナリスト」ではなく「タレント」として出演することは何ら問題ないだろう。

しかし、「トヨタイムズ」や他媒体で富川氏が「ジャーナリスト」の肩書で広告記事ではなく、ニュースを発信するようなことがあれば、後述する独立性と倫理観の点で大きな問題と言える。

「トヨタイムズ」について少し説明しておくと、トヨタは既存メディアに頼らず自らの手でニュースを作って世に発信していく狙いで開設された。できた当初、あるトヨタ幹部は「いずれヤフーニュースのような媒体にしたい」と野望を語っていた。

そのため編集能力を鍛えようと、トヨタは一時、社員を中日新聞に派遣し、運動部の中日ドラゴンズ番記者につけてもらっていた。トヨタでは企業スポーツが盛んなため、その活動を「コンテンツ」に仕立てて発信したいとの考えがあり、スポーツ記者のノウハウを習得しようとしていたからだ。

「トヨタイムズ」限界を露呈した事件

実際に「トヨタイムズ」の「報道」内容を見ていると、トヨタに都合の良いこと、特に豊田章男社長を持ち上げる話が目立ち、独裁国家の国営放送ではないかと見まがうほどだ。たとえば、19年8月20日にトヨタ本社の研究開発で火事が起こった時、それを隠さずに報じたものの、その内容は、翌日が土曜日なのに豊田社長が現場に駆け付け、現場を鼓舞した美談仕立ての話が流れていたが、何が燃えたかは書かれていなかった。

ところが、燃えたのは、トヨタの虎の子の技術である、実験中の燃料電池車だったが、そこには触れていなかった。トヨタの商品イメージが悪くなるからだろう。それが企業のオウンドメディアの限界である。

豊田社長はメディア嫌いで知られ、それが高じて、NHKや日本経済新聞などの主要メディアに対して見出しの内容にまで注文を付ける、とされる。また、囲み取材で厳しい質問をすると、その輪からも排除される。豊田社長にとって都合の良いニュースを発信するために自らの肝いり作った媒体が「トヨタイムズ」なのである。

トヨタ自動車・豊田章男社長(写真:AFP/アフロ)

ただ誤解を恐れずに言えば、企業が自社の予算で広報、広告戦略の一環でオウンドメディアを展開し、「美談」を振りまくのは、ある意味で自由な企業活動の一つだ。むしろ、こうしたオウンドメディアが巧妙にニュース仕立てにして発する情報やステルスマーケティングの記事を世間がどう受け止めて判断するのか、情報の受け手の能力(リテラシー)や感性が問われる時代になった側面がある。

筆者がこうした記事を書くのも、受け手側に情報提供と問題提起したいからであり、知る権利に対応する行為だと思っている。

富川氏は公益に殉じれるのか

富川氏の話に戻ると、氏が「トヨタイムズ」などでアナウンサーとして培ってきた話術を生かして活動するのは全く自由だが、「ジャーナリスト」と名乗ることについては、「ちょっと待てよ」と言いたい。

「ジャーナリスト」は、弁護士や公認会計士などのように法律で定められた資格試験を通過した上で名乗る職業ではなく、名刺に「ジャーナリスト」と書いた日からその職業に就くことができる。

言ってしまえば、誰でもなれる商売なのだが、同時に高い職業倫理観が求められる。たとえば、2019年にチュニスで開催された国際ジャーナリスト連盟(IFJ)で採択された「ジャーナリストのための倫理憲章」の前文では「公衆に対するジャーナリストの責任は、他のいかなる責任、特に雇用主、および公的機関に対する責任よりも優先される」などとある。

これを筆者なりに理解すれば、「ジャーナリスト」を名乗る以上、一般市民の知る権利に応える責務があり、それは自分が所属する組織の意向よりも重たく、公益のためには、自分が属する組織にとって不都合なことも書かなければならないということだろう。

そして第一条では、前文の主旨を確認するかのごとく、「事実の尊重と真実に対する公衆の権利の尊重は、ジャーナリストの第一の義務である」と定められている。他の条文内にも「各国の一般法の範囲内でジャーナリストは、職業上の名誉の問題において政府またはその他の者によるあらゆる種類の干渉を排除して、公衆に開かれた自主規制機関の管轄権を認めるものとする」などとある。

日本新聞協会が2000年に定めた「新聞倫理綱領」でも、「国民の『「知る権利』は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される」などと記されている。

世界でも日本でも、民主主義の維持のためには知る権利が重要であり、その負託に答えるためのジャーナリストや報道機関の独立性が求められているわけである。ちなみに富川氏の事務所は、トヨタ傘下の広告代理店「トヨタ・コニック・プロ(旧デルフィス)」内に置かれている。同社の社長はトヨタの広報担当役員の長田准氏だ。

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トヨタは“権力”、富川氏は“権力の犬”

「ジャーナリスト」の独立性を担保する点から見ても富川氏とトヨタの行動は常識外れなのである。富川氏は、「ジャーナリスト」の看板を外すべきだが、百歩譲って、「ジャーナリスト」を名乗るのであれば、トヨタや自動車産業に関する報道には携わるべきではない。富川氏による発信はトヨタへの利益誘導と見られる可能性があるからだ。知名度が高い富川氏だけに世間への影響力も少なくない。自制すべきだろう。それも「ジャーナリスト」に求められる倫理観だ。

トヨタはグループ企業も含め、国内に多くの工場を抱え、トヨタの動向が雇用に与える影響は大きいし、エコカー減税など政府の補助金は日本のトップ企業に配慮された内容になることがある。官との関係も強く、警察庁キャリアナンバー2の警視総監だった吉田尚正氏は現在、天下りでトヨタの顧問を務めるほか、社外取締役には元経産省事務次官の菅原郁郎氏が就いている。

また、グループ企業の労組が加盟する全トヨタ労連は組合員約36万人を抱え、連合の中核組織の一つであり、労組の動きが野党の動向にも影響する。今年4月にはトヨタ労組出身で前代議士の古本伸一郎氏が愛知県副知事に就いたばかりだ。

こうした現状を見ていくと、トヨタ自体が立派な権力と言える。「トヨタ所属ジャーナリスト」という肩書は、もはや「権力の犬」と見られても仕方ないのだ。「報道ステーション」という日本を代表する報道番組の一つでキャスターを務めて名を挙げた富川氏のせっかくの「市場価値」は徐々に喪失していくに違いない。

さらにきつい言い方をすれば、権力にとって都合の良い情報を垂れ流す、ロシア国営のイタルタス通信、中国国営の新華社通信、北朝鮮国営の朝鮮中央通信の記者と何ら変わらないのではないか。富川氏のキャリアを崩し、ジャーナリストへの信頼性を落とすような真似をするトヨタの「罪」は重いと言わざるを得ない。完全に世間をなめ切っている。