「21世紀に間に合いました」このキャッチコピーから始まったプリウスの歴史も、2022年12月で25年を数える。
今でこそ当たり前になったハイブリッド機構だが、これを当たり前といえるまでに育て上げたのは、トヨタであり、プリウスだ。四半世紀を迎えるこのタイミングで、歴史を振り返りながら、プリウスのこれからを考えていきたい。
文/佐々木亘、写真/TOYOTA
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燃費が良いだけではない! 究極のエコカー「プリウス」
世界初の量産型ハイブリッド車が登場したのは1997年12月のことだ。ミラーサイクル方式のガソリンエンジンと、永久磁石式同期モーターを併用して動力を発生する、Toyota Hybrid System(THS)が登場する。
当時はカローラが152万7000円で売られていた時代。プリウスは販売価格215万円と車格の割には割高なクルマであり、販売台数はそれほど大きく伸びなかった。それでも28km/L(最終型では31km/L)という驚異的な燃費性能は、世界中に衝撃を与える。ハイブリッドの歴史をスタートさせるには、充分なインパクトだっただろう。
2代目は2003年に登場。初代のハイブリッドユニットを大きく改善させたTHS IIが搭載され、現在も続くトヨタハイブリッドの原型が出来上がった瞬間だ。
2009年には爆発的なヒットを記録し、プリウスを国民車とまでいわしめる存在にした3代目が登場した。2015年にはTNGAプラットフォームを採用する4代目(現行型)へと進化する。
約四半世紀のなかで、プリウスというクルマは「地球環境に良い」という、確固たるイメージを持った。もっと高級なクルマに乗れるハリウッドスターたちも、「乗っているだけで環境問題を真剣に考える人になった気分だ」とプリウスをマイカーに選んでいる。
いっぽうでプリウスは、ハイブリッドバッテリーがすぐにダメになるだろう、耐久性は足りないはずといわれてきたが、こうした声をことごとく跳ね返してきた。今では最も丈夫に作られ、長く愛用できるクルマの一つとなっているだろう。
筆者もプリウスユーザーの一人だ。2012年に新車購入したZVW30型(3代目プリウス)は、間もなく初度登録から丸10年を迎える。走行距離は16万kmとなるが、現在まで大きなトラブルはない。
エンジンもバッテリーもモーターも快調そのものだ。足回りにもボディにも不具合はなく、定期的な油脂類の交換、ワイパーなどの消耗品の交換だけで、ここまで乗れている。2021年初めてブレーキパッドを交換したのも驚きだった。筆者の車歴の中で、約15万kmもブレーキパッド無交換で安全に走れるクルマは、プリウスだけだ。
先進技術に目が行きがちだが、プリウスはクルマとしての基礎がしっかりとできている。丈夫で長持ちする低燃費車プリウスは、エコカーのパイオニアであり、真のエコカーともいえるだろう。
黙っていても売れていく? 30系プリウスが販売店に与えた影響
スマッシュヒットを記録した3代目プリウスは、販売店にとって衝撃のクルマだった。
営業・販促活動をしなくても、勝手に売れていくのがプリウスだ。来店客のほとんどがプリウスを求め、試乗車は常時フル回転。大した値引きをしなくても、どんどん契約が取れていく。
一生懸命になって売らなくても、ショールームで待っていればいい。ここまで商品の強さを感じるクルマは、これまでなかったと思う。アクアも似たような売れ方をしたが、インパクトはプリウスの方が大きかった。
また、プリウス自体の販売はいわずもがな好調だったが、同時に他車種の販売にも貢献していた。これもプリウスの存在感を強く感じる所だ。
プリウスを目的に来店したものの、年間走行距離が短く、クルマを使う機会が少ないユーザーには、プリウスは割高となる。こんなときには、ハイブリッドではなく純ガソリン車を提案してみた。例えばアリオンやプレミオ、ポルテなどだ。こうして紹介される受け皿的なクルマたちも、プリウス効果で販売を伸ばしていった。
高い商品力で自然に売れるプリウスと、トヨタ販売店のお家芸である提案営業で売れていく他車種。当時、販売の根本を支えていたのは、プリウスの人気と集客力だった。
現在のように、ショールームで来店客を待ち構え、新車を販売するスタイルが定着したのは、プリウスによる販売革命が起こったことが一つの要因になっていると筆者は思う。
HEV乱立でプリウスの役割は終わったのか
現在、トヨタHPのラインナップに掲載される車種は、乗用車・ビジネスカー・軽自動車・GR・小型モビリティを合わせて53台ある。そのうちハイブリット(PHEVを含む)は、26車種だ。
ハイブリットといえばプリウスだけだったのは、昔の話。今やカローラもクラウンもアルファードもハリアーも、センチュリーだってハイブリッドモデルになった。特別だったハイブリッドが、既に当たり前のレベルに到達している。
世界初の量産ハイブリッド車として登場し、ハイブリッドを当たり前のレベルまで育てたプリウス。ハイブリッド車の普及という役割を終え、お役御免のようにも評されるが、筆者はまだプリウスの役割が残っていると考える。
セダンでもハッチバックでもステーションワゴンでもない、プリウスというワンモーションスタイルで、クルマはどこまで進化できるのか。その挑戦はまだまだ終わっていないはずだ。
歴史の長い、カローラだからクラウンだからという固定概念や縛りがないからこそ、プリウスは空力・軽量化等を極限まで煮詰めたうえで、走って楽しい、乗って嬉しいクルマにできる。もちろん世界トップレベルの燃費性能は、まだまだ向上させていってほしい。
登場当時、究極のエコカーといわれたプリウス。プリウスの役割は、いつの時代でも究極のエコカーになることだろう。それがHEVなのかPHEVなのか、BEVなのかFCVなのかはわからない。もしかしたら、全く別の動力が採用されるのかもしれない。これを探求し、クルマという形に昇華させるのが、プリウスの至上命題だと思う。
誕生から25年を迎える今冬、プリウスはまた新しい提案をしてくれるはずだ。これまでも、そしてこれからも、世界に誇る日本の技術の象徴、プリウスの進化は続いていく。
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投稿 なぜ「不人気車」から「勝手に売れる車」へ? 営業マンが見たプリウス 25年間の衝撃と新たな役割 は 自動車情報誌「ベストカー」 に最初に表示されました。