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※写真クリックで拡大表示します 国連の同僚職員らと(右から2人目) 国連に入った1957(昭和32)年、日本人職員は私だけでしたが、翌年には7人になりました。私たちは映画監督の黒澤明さんが手がけた作品名に倣い、「七人の侍」を自称し、にぎやかにやっていました。 この頃、海外に飛び出す日本人が…