アメリカに、ヘリコプターを操縦し大型トレーラを運転する「なでしこトラッカー」がいた! カリフォルニア州でトラックドライバーをしているPUNKさんだ。
アメリカには意外と多くの日本人ドライバーがいるが、まさかその中に日本人女性がいたなんて、とても嬉しい驚きではないだろうか? ちなみに愛称の「PUNK」は、アメリカ人の旦那さんの命名だそうで、パンプキンパイの略なんだとか。
現在は、自分のトラック・自分の裁量で仕事をする念願のオーナーオペレーターとして全米各地を駆け巡っているPUNKさんだが、トラックマガジン「フルロード」の第5号で女性ドライバーに焦点を当てた「素顔の自叙伝」にご登場いただいた時は、七面鳥のファームで働く地場ドライバーだった。
アメリカに渡ったなでしこトラッカーが見せる仕事ぶりは、やはり日本人女性の秘めたる粘り強さ・力強さを感じさせるものだった。
文・写真/PUNK
*2012年1月発売トラックマガジン「フルロード」第5号より
トラックドライバーになったきっかけ
皆様はじめまして、PUNKです。アメリカのカリフォルニア州でトラックドライバーをしています。
日本で高校を卒業し、普通にOLをしていました。勤務先は某建設機械販売の会社で、毎日のようにトレーラに重機を積んで運んでくるトラックを見ていた私は、次第にトラックドライバーに憧れを抱きました。
毎日同じ景色のオフィスで、お茶くみ、コピー、コンピューターの打ち込み、会計処理……。タバコの臭いや、鳴り止まない電話、支店長の怒鳴り声と、みんなのイライラ。こうした生活から抜け出したいと思うようになっていきました。
それに、大好きな運転でお金がもらえれば幸せなことだし、トラックの運転というスキルを身につければ、まず食いっぱぐれは無いだろうと思って……(笑)。
そして新聞にはさまっている求人広告に常に目に通すようになったある日、「キャリアカー乗務員募集(大型・トレーラ、普免可)」が目にとまりました。そしてなんと、当時には珍しく「女性可」の文字が!!
正直、大型トラックを運転する自信はありませんでしたが、これはチャンスだと思い、勇気を出して、ダメもとで電話をし、面接の日程を教えてもらいました。
履歴書を持って会社に行くと他にも3人居ました。皆さん大型またはトレーラの免許を持っている方達で、普通免許しかない私は「あ~、ダメかな……」と半分あきらめ状態。でも人手不足だった会社は全員採用を決定し、私は普通免許で乗れる4トン車、3台積のキャリアカーで仕事をする事になりました。
ほとんど毎日違う場所にクルマを配達するので、地図の見方はもちろん、固縛の仕方、ウインチの使い方、昇降台の動かし方、そしてクルマの乗せ方、すべて厳しく教わりました。およそ半年経った頃から、仕事の後にトレーラを借りて練習するようになりました。
早く憧れのトレーラドライバーになりたくて、運転の練習を始めたんですね。
いわゆる「一発試験」でしたので、前日に2時間教習を受けて、翌日、感覚を忘れないうちに試験に臨みました。車庫入れもギリギリうまく入って幸運にもパスしました。当時は「たくさん運転の経験を積んだら路線バスに乗りたい」と思っていたので、大型2種の免許も取得しました。
キャリアカーの仕事は本当に色々な事がありました。仲間との楽しい思い出がいっぱい。辛い事もありましたが、それも今となっては貴重な経験です。全部お伝えしようとすると何百ページにもなりそうです。
なぜアメリカに渡ったのか?
トレーラにも乗り慣れた頃、いつもの様に朝の渋滞にはまり、空を見上げていると、一機のヘリコプターが颯爽と飛んでいきました。空には渋滞なんてないんだ……。
その自由な光景が目に焼きついて頭から離れなくなり、次第にどうすればヘリを操縦できるようになるのか調べるようになりました。すぐにわかったのは、訓練に大金が必要な事。そして、海外で免許を取得すればかなり費用を抑えられる事……。
それからコツコツとお金を貯めてアメリカへ渡ったのが1995年の10月でした。そうです、トラックドライバーになる為にアメリカへ来た訳ではないのです。ヘリコプターパイロットになるまでのお話は端折りますが、ヘリの構造から法規の勉強、ウェザーチャートの読み方、心理学やメディカルに至るまで、操縦訓練と平行しながら徐々に知識を深めていきます。
では、なぜアメリカでトラックドライバーになったのか、ズバリいってしまえば、生活のためです(笑)。
プライベートパイロットライセンス(自家用操縦士)を約50時間で取得しました。コマーシャルパイロットライセンス(事業用操縦士)の試験を受ける為には最低150時間プラス計器飛行の訓練が必要です。
ビザの関係もあって、日本とアメリカを行ったり来たり……。一番のネックは資金でした。再び日本でキャリアカーに乗り、宅配便のドライバーをやったり、タクシーの運転手もしました。
飛行時間はなんとか100時間を越えましたが、本格的に訓練を続けるには借金するしかありません。と同時に、その頃訓練校で知り合った方と結婚を考えていた私は、将来の事を考えた末、自然と夢は遠のいていきました。
ちなみに、そこで出会った今の主人はアメリカ人。同じ訓練校の卒業生で、インストラクターをしていました。とても優しい人で、私のことをとてもよく理解してくれますが、やはり結婚となれば、夢よりも2人の生活が大事。アメリカでトラックドライバーになることを決めたのがこの時でした。
当時の生活は厳しく、情けない思いもしました。義理の両親宅に居候させてもらいお世話になったり、「明日食べるものはないけど、缶詰ならあるよ」なんて会話したことも……。
でも周りの皆があたたかく見守ってくれて、本当に有難かったです。何事もそうですが、失くした時に改めて大切さ、有難さを感じます。日本を離れてわかる、日本の美しい土地、文化、食べ物、言葉、両親、友人……。これからも決して忘れられない、私の人生の財産です。
アメリカでの仕事
アメリカで免許を取ってすぐに長距離ドライバーになる事を考えましたが、どうしても家を離れる事に抵抗があり(今もそうですが)、ローカル(地場)ドライバーとして働いています。
日本と比べて、アメリカのトラックドライバーは、ひとことでいうならば自己責任が「重い」ということでしょうか。それは、トラックに関しても、健康管理にしても、仕事のこなし方にしても、です。
これは一つの例ですが、アメリカではトラクタの実地試験の時、動かす前にエンジンルームを開けて、試験官にパーツの名前と何のためにあるのかをすべて説明します。トラクタに乗ってからも、ゲージの説明やブレーキの空気圧のチェックなども念入りに行ないます。
思いもよらない故障は別として、多少の知識がないと、広いアメリカでは修理屋さんが来るまで時間がかかり、一日を棒にふることもありますから……。
違いをもう一つ。これは私の居た会社の例えですが、日本には正月やゴールデンウィーク、夏休みなどの連休があります(それプラス祝祭日と、なんと言っても年2回あるボーナスは忘れられません)。
アメリカの会社は、よくてサンクスギビングデー、クリスマス、元旦それぞれ一日だけです。ボーナスはなし。でも、日本ではとりづらいとされる有給休暇は1週間から2週間、毎年休みをもらっています。
以前ルイジアナ州に住んでいたことがあり、メキシコ湾へはクルマで30分くらいでした。このメキシコ湾内には「オイルリグ」と呼ばれる石油掘削のプラットフォームが4000箇所近くありました。オイルリグで必要なものはすべて船で運ばれます。
メキシコ湾沿いにある5つの州(テキサス、ルイジアナ、ミシシッピ、アラバマ、フロリダ)から、オイル会社がオーダーした荷物をフラットベッド(平ボディ)トレーラでピックアップして船まで届けるという仕事もしていました。
家を離れて、2週間に1度、週末に休みを希望するならば休んでいいという会社でしたので、トラックのスリーパーで寝ていました。実は日本でも、一時期ですが地元の東京から静岡、名古屋、大阪、千葉と、トラックの中で寝ていた頃がありました。
でも、やはり家を離れていると、いつも不安がつきまといますね。その後、北カリフォルニアのSonoraという町にある七面鳥のファームで、運搬にかかわる仕事に転職しました。
今の仕事は「七面鳥尽くし」
アメリカのホリデーシーズンは、サンクスギビング(感謝祭=11月の第4木曜日)からクリスマス、そしてニューイヤーです。そのお祝いに欠かせないご馳走が、伝統的にはターキー(七面鳥)なんですね。
実は、ポークやビーフ、チキンもおいしいから「七面鳥はパス!」という家庭も少なくありません(私もそのクチです)。
でも、やっぱり毎年ホリデーシーズンになると、メッチャ忙しくなります。私の仕事は、ターキーのエサ運びから始まって冷凍パックされた七面鳥の配達まで、ターキー尽くしです。
この会社にはそれぞれ違う場所に10箇所ファームがあるんですが、ひとつのファームに10~30棟くらい大きくて長いターキーハウスがあって、その横に9トンの餌が入るタンクが2つずつ設置されています。
そのタンクに餌を入れるのですが、タンクの上にあるフタをあけて、トレーラのスティング(後ろにある餌を送り出すところ)をぴったりつけるのに、トレーラの前後の微妙な動きが必要なんです。たまに一発でつけられた時なんかは、心の中でガッツポーズです(笑)。
しかもファームなのでいつも泥だらけ、ちょっとカッコ悪いですが、長靴を履いて作業をしています。どのファームにもゲート入り口に消毒液の入った水道が設置されていて、トラックでは18輪全部を念入りに洗うことが義務付けられています。
エサの積み込みと荷降ろしで計3時間半。それからトレーラを替えて、七面鳥の積み込みに……。冷蔵倉庫は、夏はいいんですけど、中での積み込み作業はやっぱり寒い。なるだけ私からバイキン君がこぼれ落ちないように、マスクとスモック、頭にはネットかぶって作業をします。
ビンというのですが、大きさも見かけも風呂桶のようなものに七面鳥と氷を入れた容れ物を加工工場に運びます。1ビンの中に七面鳥が40~50羽入っています。電動のパレットフォークを使うものの、これが重いんです。トレーラには28ビン積むので、けっこう重労働です。
加工され冷凍パックされた七面鳥を配達する仕事も私の仕事です。トレーラには24パレット積むことができます。配達先には守衛所があって、トラックナンバーや名前、トレーラの温度設定などをチェックした後、どのドックにバックするか教えてくれます。
ここに集められたターキーは他の運送会社のトラックでアメリカ全土にデリバリーされます。仕事はキツいこともありますが、苦労を共にして楽しく本音で語り合える仲間達がいて、居心地のいい会社です。田舎だから住みやすいっていうこともあるかもしれませんね。
愛しのアメリカントラック
アメリカで乗ったトラックのメーカーは、インターナショナル、フレイトライナー、ケンワース、マック、ピータービルトなど。
トレーラは、キャリアカー、タンカー、コンクリートミキサー(これは単車です)、フラットベッド、ホッパー(ボトムダンプ)、フィーダータンク、ダブルトレーラのライブホール(鳥かご)、53ftリーファー(冷蔵バン)、コンポストのスクリーン(肥料を作る際に土を網にかけて石や残骸を取り出す機械)などです。
ところで、つい最近まで初めてアメリカで乗ったトラックは、アメリカでの初仕事の際に乗った75年式のケンワースだと思い込んでいました。
でも先日、久しぶりに古いアルバムを見ていたら、思い出したんです。エアポートにあるヘリコプターの訓練校に通っていた頃、メキシカンのおっちゃんがほとんど毎日、同じエアポートの駐車場で自分のトラックを磨いていたんです。
ある日「おっちゃん、トラック、カッコイイね! 私も日本でトラックドライバーだったんだ。運転していい?」って言ってみたんです。
そうしたら喜んでトラックを運転させてくれたんですが、その時、日本とアメリカのトラックの違いを初めて学びました。なにしろギアが入らない、急いでダブルクラッチを踏んでもタイミングが合わないし、横で見ているおっちゃんの様子も焦ってるみたいだし……。
これがアメリカントラックの初乗りだったんです。いま思えばとてもいい経験でした。メキシカンの気のいいおっちゃん、グラシアスです(笑)。
これは私自身の課題でもありますが、トラックを運転していて、調子のいいときは問題ないのですが、人間ですから長時間労働に振り回され、肉体的にも精神的にも疲れ果ててしまうことがあります。居眠り事故や過労死などの悲劇は決してあってはならないことだと思います。
コントロールできないと感じたときは、仕事を断る勇気も必要です。むずかしいかもしれませんが、自分の人生で一番大切なことは何かを考えれば、答えは自ずと明らかでしょう。それは日本もアメリカも同じ。どうかそのことを忘れずに、トラックの仕事をエンジョイしましょう!
投稿 普通のOLから大転身! アメリカでトラック乗りになった「なでしこトラッカー」PUNKさんの素顔の自叙伝 は 自動車情報誌「ベストカー」 に最初に表示されました。