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六年前、藤原四兄弟がそろって痘瘡(もがさ)の犠牲になった後も、藤原一門と橘諸兄や真備たちの争いはつづいていた。聖武天皇の信任を得て国家の再建をはかろうとする真備らに対して、藤原武智麻呂(むちまろ)の嫡男豊成(とよなり)、次男仲麻呂、房前(ふささき)の三男真楯(またて)、四男清河(…