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2年ぶりの王座奪還、そして10年ぶりの日本一に向け、2022シーズンを走り出した読売ジャイアンツ。

開幕戦のマウンドに上がったのは、球団最多8度目の開幕投手となったエース・菅野智之(32歳)。江川卓、斎藤雅樹、上原浩治ら歴代の投手たちを抜く開幕戦5勝目を飾った。

しかし、そんな快挙の裏には、百戦錬磨のエースでも抗えなかった”苦悩の1年”があった。

昨シーズン、野球人生最大の挫折を経験した菅野が心に秘めた“決意”とは――。

テレビ朝日のスポーツ番組『GET SPORTS』では、逆境に立たされた不屈のエースが“新しい自分”を模索する姿に迫った。

◆エースが経験した“野球人生で最大の挫折”

2021年12月、宮古島。

菅野は着慣れないウエットスーツを身にまとい、神妙な様子で何かを祈っていた。

この島の「神聖」といわれる地で、いったい何を祈ったのか?

「今年1年悪かったこと、全部浄化された。浄化されたのかな?(笑)でもよかった、いい経験になりました」(菅野)

昨シーズン、エースはもがき苦しんだ。開幕直後に脚の違和感を訴え、登録抹消。その後一軍復帰を果たすも調子は上がらず、自身初となる4度の二軍落ちを経験した。

さらに、東京オリンピックも大会直前でまさかの出場辞退。

侍ジャパンが悲願の金メダルを獲得したその時、菅野は日差し降り注ぐ巨人の二軍球場で汗を流していた。記者から「東京オリンピックは観た?」と質問されると…。

「まあ観たり観なかったり…。他人事ではないですけど、(金メダルは)よかったなと思いました。でもね、現状というか今年の感じだったら、正直出場してもいい結果は出なかったと思う。どういう風に表現したらいいかわからないですけど、つらかったですよ」

自己ワーストのシーズン6勝に、オリンピック辞退。野球人生で最大といってもいい挫折の1年となった。

いったいなぜ、苦難の1年となったのか?

今まで何とかなると思っていたことが、どうにもならなくなってきている。怪我にしても、結果ひとつとっても」(菅野)

「何とかなるものがならなくなった」――。それは、昨シーズンのあるシーンにもあらわれていた。

ヤクルトとのクライマックスシリーズファイナル第2戦。負ければ日本シリーズ出場へ後がなくなる大一番での先発。菅野は1点ビハインドで迎えた6回、満塁のピンチを迎えた。

そんななか、球数が100球を超えると、ある“異変”が起こる。

「握力がもうなくなっちゃって。投げたらどこ行くかわからない」(菅野)

そして、フルカウントからの7球目で痛恨の押し出しフォアボール。エースの身体に余力は残されておらず。6回途中5失点で菅野のシーズンは幕を閉じた。

もう限界に近かったから、正直初めての感覚。あそこで本来ならしのげていた自分がいたことも確かなので、若い時はなんとなく抑えられていたものが、ごまかしが利かなくなる場面がすごく多いなって思います」(菅野)

かつては、調子が悪い中でもその球威でなんとか抑えることができた。しかし、年齢を重ねるにつれて以前のようなピッチングはできなくなっていた。

さらに菅野は、野球人生を支えた“最大の武器”も失いかけていた。

「スライダーが使えないというのはプロに入って初めてで、これは何とかしなきゃいけないなと思っていました」(菅野)

他球団のバッターたちから“魔球”と恐れられるスライダー。この自身の代名詞すらも、昨シーズンはバッターにとって捉えやすいボールになってしまっていた。

「スライダーのいいときって、右バッターの左の肘に目掛けて投げて、アウトコース低めに決まるというイメージ。去年は肘に目掛けて投げたら本当に肘にしかいかない。抜けていってしまうという感覚があった。曲がっていくイメージが湧かないんですよね」(菅野)

投球割合で見てみても、リーグMVPを獲得した2020年は28%なのに対し、昨シーズンは19%。菅野が“伝家の宝刀”に頼れなくなっていたことがわかる。

野球人生すらも左右しかねない状況の中、必死に自分と向き合っていたのだ。

◆「変わらなきゃいけないって心から思った」

その苦悩は、後輩たちにも伝わっていた。

チームメイトの中川皓太(28歳)は、昨シーズンの菅野について次のように語っている。

「調子が自分の思い通りにいっていないというのは、周りで見ていてもみんなわかっていたと思うんですけど、それを超えるくらいどうにかしようという感じもみんなに伝わっていたと思います。このままシーズンが終わっちゃうとは全然思っていなかったです」

それに対し、菅野は「シーズン終わるくらいだったらいいけどね」とポツリ。じつは選手生命を終えるかどうかまで考えていたという。

万全を期してこれならいけると思ってマウンドに上がって、やっぱりダメだったの繰り返しだったから、『こんなはずじゃないんだけどな』とマウンドで思いながら投げていた。それだけにやっぱりいろいろなこと考えた。自分の中で変わらなきゃいけないって心から思ったシーズン」(菅野)

「変わらなければいけない」――。そんな決意を秘め、迎えたシーズンオフ。自主トレでは、明確なテーマを持って臨んでいた。

「まずは“体・心・技”。心・技・体とあって、僕は体が最初にくるんですけど。いくら頭でわかっていてもやっぱり体がついてこなかったり、使いたい場所が使えなかったりしたらどうにもできないので。その土台として自分が考えたのは足先、指先。末端の部分をしっかり働かせるために今は取り組んでいます」(菅野)

かつては重い重量を持ち上げるトレーニングで身体の出力を上げることを重視していた菅野。しかし今回は、身体を隅々まで思い通りに操る感覚を養うために、自重でのトレーニングを重視する変化があった。

「結局ベンチプレス100何十キロ挙げましたとか、スクワット200キロ挙げましたとか、自分の動きの中で扱えなかったら意味ないから。去年も出力上げようと思って上半身のウエイトをガンガンやっていたの。それでいい成果は得られなかったから、原点に立ち替わってという気持ちは少しあるかな。地味だけどね。すごく大事な練習」(菅野)

若い頃にできていたことが難しくなる。今年で33歳を迎えるからこそ、投げる時に身体の細部まで意識しなければいけないと気付いたのだ。

そのために、裸足での砂浜ダッシュや壁をよじ登るクライミングなど、新たなトレーニングも導入。手足の先の先まで意識したトレーニングで自分を追い込んだ。

そこには、今まで以上に身体と向き合う姿があった。

◆「今までにない自分を見せられるように」

菅野の変化は、キャンプ初日に早速あらわれた。

ここ数年には見られなかったキャンプ初日でのブルペン入り。状態が上がりきらなかった昨シーズンの反省を踏まえ、早めの調整を意識してのことだった。

その仕上がりは、ブルペン捕手も「順調ですよ。今年はヤバイでしょ」と太鼓判を押すほど。体・心・技、充実したオフを過ごせたことは明らかだった。

そして迎えた開幕戦。球団最多8度目の開幕マウンドに上がった菅野は、その時を待ちわびたかのように躍動した。

中日打線相手に6回2失点の好投。球団の歴史に名を刻む開幕戦通算5勝目を挙げた。

試合後の菅野は、これまでにないほど安心した表情を浮かべていたのが印象的だった。そのことを球団スタッフが指摘すると、「やってみろ1回! もうメチャメチャしんどいんだぞこれ!」という、冗談とも本音とも取れる言葉が返ってくる。プレッシャーから解放され、安堵感でいっぱいだったのだろう。

続く2試合目の登板も順調な滑り出しで、オフに取り組んだ成果を見せつけた。

「使いものにならなかった」というスライダーがおもしろいように決まる。7回3失点。スライダーを軸に開幕2連勝を果たした。

昨シーズン、投球割合のうち19%だったスライダーが、今シーズンはじつに32.9%を占めていた。さらに被打率を見てみると、驚異の1割1分1厘。開幕序盤ではあるが、キャリアで最も優れた数字だ。よりバッターの脅威となっていることがわかる。(※先発2試合終了時点)

「変化球の中にも強さがあると思っていて、スライダーに求めるのは強度。僕のひとつのバロメータとして、スライダーが強く曲がっている時は軸にできるボールです。最終的に投げるのは指先の部分なので、最後のところでグッとかかっている感じはしています」(菅野)

オフに取り組んだ「身体を操るトレーニング」により、“強く鋭く曲がるスライダー”を再び取り戻していた。

弱さを認め、32歳にして大きな変化を加えたことで逆境を跳ね返したエースは、今シーズンへの決意を次のように語る。

衰えだったり、いろいろあるかもしれないけど、それはそれでしっかり受け入れて、その中で新しい自分を見つけていくこと、勝つことが大事だと思っています。今までにない自分を見せられるように

節目のプロ10年目。新たな「菅野智之」を築き上げられるか、その活躍に期待したい。