ゴードン・マーレ―氏が代表を務める、GMA(ゴードン・マーレーオートモーティブ)が2台のスーパーカーの発売を発表したところ、わずか数日で両車とも完売となったという。価格は億超えと超高額のスーパーカーがなぜ売れるのか? そこにはマーレー氏が培ってきた技術やノウハウが21世紀にも充分通用する証かもしれない。GMAの2台のスーパーカーの凄さに迫ってみる。
文/西川 淳、写真/GMA、LCC
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■ブラバムF1黄金期を築いた名デザイナーだった
今、スーパーカーオーナー界で最もホットな話題のひとつが、ゴードン・マーレーの会社、GMA(ゴードン・マーレー・オートモーティヴ)発表した「究極の2台」だ。
1台は2020年に発表されて3日で限定100台を売り切った(オーダーベース)、T.50。もう1台が2022年1月末に発表され、これまた限定数の100台を正味5日で完売したT.33である。前者は4億円弱、後者でも2億円強という値札を掲げていたことを思い出せば、世界には金持ちがたくさんいるという事実よりも、この2台がどうしてそこまでクルマ好きのビリオネアを狂喜乱舞させたのか、そちらのほうが気になるというものだ。
いずれのモデルもGMAの完全オリジナル開発である。その概要を記す前に、ゴードン・マーレーの凄さについて振り返っておこう。
ブラバムの黄金期を築いた名F1デザイナーであり、マクラーレンに移ってからはホンダとのコラボレーションで最高傑作との呼び声も高いMP4/4の開発にかかわった。F1マシンの開発者人生で5度のチャンピオンシップを両チームにもたらした鬼才だ。
F1で最高峰を極めたのち、キッパリとその職から離れて今度はロードカーの開発に勤しんだ。3シーターのマクラーレンF1やロケットといった名車を生み出している。マクラーレンF1はいまだスーパーカー界の頂点に君臨する名車中の名車であり、今では20億円近くで取り引きされるまでになっている。
ゴードンはその後、自らのデザイン会社、ゴードン・マーレー・デザイン(GMD)を設立。日本の東レやヤマハといくつかのコラボレーションを発表したから、そちらの記憶のほうが鮮明な方も多いことだろう。
スポーツカーのコンセプトも続けつつ、カーボンファイバーを巧みに活用したマイクロカーのアイデアを多数輩出するなど、実用から趣味まで幅広くカバーする才能を見せつけていた。
■自身の開発したマクラーレンF1を凌駕するモデルとして開発されたT.50
そんなゴードンがスーパーカーの世界に戻ってくるきっかけとなったのは、自身のキャリア50周年を祝うプライベートイベントで複数のカスタマーから、「スーパーカー界ではマクラーレンF1を超えるモデルが30年間登場していない」、という話を直接聞いたことだったらしい。
ゴードン自身も最近の「パワー重視で重く派手」なスーパーカーのあり方には疑問を抱いていた。そして決意したのだ。自身の50周年を祝う50番目のプロジェクトはマクラーレンF1を超えるスーパーカーを作ることにしよう、と。そうして生まれたのがT.50である。
T.50は、F1級クォリティのフルカーボンモノコックボディをもち、ミドにはコスワースと共同開発した3.9LV12自然吸気エンジンが積まれ、何とマニュアルトランスミッションのみのセンターシーター(3人乗り)で、そしてブラバムF1を彷彿とさせるファンカーでもあった。
ポルシェケイマンくらいのボディサイズで、車両重量は1トン以下。V12エンジンは1万2100回転まで回る超高回転型ユニットで663psを発揮するというから、スーパーカーマニアであればあるほど興奮する内容だ。
■T.33も見た目こそ控えめだが、マーレー氏のロードカーへの想いが詰まったモデルだ
T.33もマニアを虜にするという点では同じだ。こちらは左右ハンドルの選択可能な2シーターで、少々デチューンされたV12自然吸気を積み、3ペダルマニュアルに加えてパドルシフター付きも選べ、ファンこそないもののゴードン流のユニークな空力アイデアを盛り込んだハイパーカーである。
スタイリングのモチーフは1960年代のイタリアンベルリネッタ。GMAはT.33の派生モデルを2種類、近い将来に発表するとしている。おそらくはスパイダーと高性能版で、それぞれ100台の限定だろう。それらをもってGMAによる非電動のスーパーカー生産は終了するとも予告された。
ちなみに50の「あと出し」なのになぜ33だったのか。ゴードンはアイデアを思いついた順番にプロジェクト番号を振っている。1960年代の美しいイタリアンベルリネッタ再興への思いは随分と前からあった。
■T.50とT.30は20世紀的なスーパーカーの価値観をすべて備えた最終モデルなのか
要するにゴードン・マーレーのT.50とT.33は、内燃機関スーパーカー時代の最終章を飾るモデルたちであり、合計してもたった400台しか作られないというわけである。マクラーレンF1もまた100台しか作られなかった。その価値は前述したように今や20億円以上。
世界のスーパーカーマーケットがこの30年間で飛躍的に拡大していることを思えば、400台という数字はとても少ない。すでに将来の価値が約束されているという点もまた、あっという間に完売となった理由であろう。
思い返せば市販スーパーカーのコンセプト的な元祖は1962年から生産されたフェラーリ250LMで、本格的なロードカーという意味では1966年に登場したランボルギーニミウラが端緒であった。
それからスーパーカーのアイドルというべきカウンタックが生まれ、1980年代にはスポーツカー(レーシングカー)的な性能を持ち合わせたフェラーリF40が登場するに至ってスーパースポーツカーの時代へと突入する。
そして、その頂点を極めたモデルが1993年に発表されたゴードン・マーレー設計の3シーターロードカー、マクラーレンF1であった。
以来、スーパースポーツカーはエンジンパフォーマンスを引き上げ、カーボンファイバーに代表される高価なマテリアルを惜しみなく投入し、モータースポーツフィードバックの空力デバイスを積極的に取り入れて、いよいよ高価な贅沢品として自動車の最高峰であり続けた。
■20世紀から21世紀の価値観への変革、T.33以降のGMAが生み出すモデルに期待
けれども、その進化の様にゴードン・マーレーは疑問を呈したのだった。曰く、「現代のスーパーカーメーカーは真のドライビングファンを忘れてしまっている」、と。あまりにビジネスライクになったスーパーカーの世界を今一度ドライバーの両手に取り戻そう、本当にドライビングファンなスーパーカーを作ろう、と一念発起した結果がT.50であり、T.33というわけだ。
それゆえ、この2台は1960年代以降に育まれたファン・トゥ・ドライブ精神を最もよく体現したモデルになっているはずであり、この先、これらを凌駕するモデルもまた出てこないに違いない。電動化時代を迎えて、スーパーカーの価値観も変わり、またドライビングファンのあり方も変わっていかざるを得ないからだ。
GMAの2台に飛びついたカスタマーとは、基本的にマクラーレンF1をよく知っている人たちか、これまでのスーパーカーをすべて存分に味わってきたような人たちばかりである。
彼らを満足させるべく、そして自ら作ったマクラーレンF1を超えるべくゴードン・マーレーが持てる経験と知識のすべてを注ぎ込んだマシンだ。だから、その価値は計り知れないとなる。
T.33シリーズの全300台をもって、250LMから続いた20世紀的な「僕らのスーパーカーの時代」は終焉することになる。T.33の後、GMAはまったく違った、新しいコンセプトのモデルを生み出すことだろう。スーパーカーになるとはかぎらないとさえ筆者は思っている。ゴードンの才能はその世界だけに留めておくには惜しすぎるのだ。
もちろん、電動化時代のゴードン流スーパーカーも見てみたい。重いバッテリーを彼はいったい、どう調理するのだろうか?
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