誤振込された4630万円を決済代行業者の口座に振り替えたとして18日、阿武町の無職田口翔容疑者(24)が山口県警に逮捕された。容疑は電子計算機使用詐欺(刑法246条の2)。逮捕前に弁護士の橋下徹氏は遺失物横領罪(同254条)の予想をしていたが、県警は電算機使用詐欺で逮捕状をとった。橋下氏は専門家としてはお粗末な予測。そして高名な刑法学者の著書では今回の事件を予想するかのような記述がなされ、電算機使用詐欺に該当するとしている。
■橋下氏は遺失物横領罪と予測
田口翔容疑者の事件の概要は以下のように報じられている。
山口県阿武町が新型コロナウイルス対策関連の給付金4630万円を本来、463人に10万円ずつ給付するところ、誤って田口容疑者の口座に4630万円を振り込んでしまった。その上で「県警の発表では、田口容疑者は4月12日、町のミスで入金されたものであることを知りながら自分の金を装い、スマートフォンを使って決済代行業者の口座に400万円を振り替え、この業者が口座を開設していた東京都江戸川区の金融機関をだまして不法な利益を得た…」(読売新聞オンライン・4630万円誤送金の「給付金でもめていて」…24歳、勤務先のホームセンターを先月退職)とされている。
田口容疑者は弁護士に対して海外のネットカジノで全て使ったと語っているという。自分のお金ではないのに私物化したのであるから、感覚的に財産犯であることは分かるが、その私物化する方法が盗んだのか、詐取したのか、横領したのか、考えが分かれるところではある。
逮捕前、識者も発言していたが、橋下氏は電算機使用詐欺罪より遥かに軽い遺失物横領罪との予測を披露していた。16日の「めざましエイト」(フジテレビ系)で元東京地検特捜部副部長の若狭勝弁護士が「詐欺罪」(刑法246条1項)、「窃盗罪」(同235条)「電子計算機使用詐欺罪」「単純横領罪」(同252条1項)に問われる可能性を指摘。これに対し橋下氏は窃盗罪と単純横領罪は成立せず、遺失物横領罪(同254条)となる考えを明らかにした(Sponichi Annex・橋下徹氏 4630万円誤送金問題 「弁護士の立場だと執行猶予を取りに行く案件」、スポーツ報知電子版・橋下徹氏、誤送金の4630万円を返還しない男性に「窃盗罪と単純横領罪は成立しないんじゃないか」)。
法定刑を見ると、詐欺罪・窃盗罪・電子計算機使用詐欺罪は長期10年、単純横領罪は長期5年、遺失物横領罪は長期1年の懲役のため、遺失物横領と単純横領と、それ以外は天と地ほどの差がある。橋下氏の予測は法曹としていかがなものか。
山口県警は若狭弁護士が挙げた犯罪の中で最も重い刑罰が科される犯罪をチョイスしたことになる。もちろん、検察官が起訴する際に別の罪とする可能性はあるが、このように法的に難しい解釈が求められる場合、県警でも当然に検察庁に事前に相談した上での逮捕と思われる。
■4630万円の占有
今回の事件を考える場合、誤振込がされた場合、その金銭について誰が占有しているかが問題となる。窃盗罪における占有とは「財物に対する事実的支配・管理」(刑法各論第6版 西田典之 弘文堂 p142)であり、横領罪における占有は「事実的支配のみでなく法律的支配をも含む」(同p234)とされる。
橋下氏の予想は、阿武町による誤送金で4630万円が田口容疑者の口座に振り込まれたことで、同容疑者が預金による占有をしていると解釈しているのであろう。つまり、阿武町が過失で田口容疑者の口座に4630万円を振り込んだことで、その金銭は阿武町の占有を離れ、田口容疑者の占有となったということである。
その金銭を田口容疑者がネットカジノで使用という形で横領したという解釈。橋下氏は番組内で「落とし物の横領になるだけ」と語っていることから、間違いのないところと思われる。また、過去に同様の下級審判決がある(東京地判昭和47年10月19日)。
もっとも、それは下級審の判決であるから、上訴審で破棄された可能性はある。そして、刑法の基本書などでは橋下氏のような解釈をする者は少ない。橋下氏のように田口容疑者の口座に入金されているとはいえ、その占有は振り込まれた銀行にあると考えるのが一般的。若狭勝弁護士はその考えに立っているのは間違いない。その観点からすれば、詐欺罪、窃盗罪、電子計算機使用詐欺罪、単純横領罪のいずれかとしたことに一定の合理性はある。
■西田典之氏「刑法各論第6版」
この誤振込された金銭を自分のものにするという犯罪の類型については、刑法では1つの論点になっている。前出の西田典之氏の「刑法各論第6版」(2012年3月発行)では、今回の件を予想するかのような記述がある。
誤振込み…を奇貨とした丙が、①銀行の窓口から引き出した場合、②CD機からカードで引き出した場合、③ATM機を使い自分の債務の弁済として他人の口座に振替送金した場合にいかなる罪責を負うかが問題となる。
…誤振込みされた金銭の占有は、X銀行にあると考えるべきであり、したがって、①では1項詐欺(札幌高判昭和51・11・11…)、②では窃盗、③では、電子計算機使用詐欺が成立すると解すべきであろう。(※同書p236)
銀行に金銭の占有があると考えれば、①では本来、誤振込みの告知義務があるのにそれをしない、つまり不作為で窓口の銀行員を欺罔し、金銭を詐取するから1項詐欺になるというもの。
②はキャッシュディスペンサーからカードで金銭を引き出す行為は、機械に対する欺罔はあり得ず、単純に銀行の占有を侵害するので窃盗が成立すると考える。
③は虚偽の情報を入力して送金をすることで、利益を得ているという考え。この場合、「虚偽の情報」は「振替入金(送金)等についていえば、入金等の処理の原因となる経済的・資本的実態を伴わないか、又はそれに符合しない情報のことである(東京高判平5・6・29高集46-2-189)」(条解刑法第4版 編集代表 前田雅英 弘文堂 p801)と考えていい。
西田氏が存命であれば今回の事件は③の類型とし、電子計算機使用詐欺罪と指摘したと思われる。
■もう少し調べてから発言したい橋下氏
西田氏は日本の刑法学者で、その著書は法学を学ぶ多くの人の指針となっている。同氏は2013年に没したが、今回の誤振込のような事案も的確に予想しているのは、さすがとしか言いようがない。
橋下氏の遺失物横領罪は法定刑が1年以下の懲役又は10万円以下の罰金若しくは科料。さすがにそれで終わることはないというのは、多く人が感覚的に感じていると思う。なお、番組の最後に「詐欺罪が成立する」可能性を指摘しているが、田口容疑者はスマートフォンで出金の操作をしていると見られ、現時点で欺罔行為が見当たらないため、その線は無理筋。
橋下氏はウクライナだけでなく、上海方面でも論戦で苦戦が続いているという追い込まれた状況であるという事情は分からないでもないが、もう少し判例や基本書にあたってから発言した方が良かったのではないか。