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21歳の青年は顔に大やけどを負い、佐世保市の病院にいた。終戦の4カ月前のこと。傷が癒えた頃、針尾島から見た大村湾の青さは心に残り続けたという▲その少し前、佐世保で造られた日本軍の艦船「矢矧(やはぎ)」に乗っていた青年は、戦艦「大和」などと沖縄に向けて出撃したが、米軍機の攻撃で撃沈し…