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645年旧暦3月、唐の太宗は、自ら大軍を率いて遼東に到着した。宿願だった高句麗侵攻のためだった。初めは飛ぶ鳥を落とす勢いだった。隋が4回侵攻する間、一度も陥落したことのない遼東城が一度の攻撃で落ちた。蓋牟(ケモ)城や白巖(ペクアム)城が陥落し、高句麗の第一線の防御線を突破し、第2次防御…