ロシアによる侵攻が始まった翌日の2月25日朝、キーウにあるリンダちゃんの自宅窓には、ガラスの飛散を防ぐテープが何本も貼られた。母で研究者のカテリーナさん(33)は避難を決断。3月初旬、家族4人でリビウに向かった。持って行けるのは小さなバッグだけだった。
車内は同じく避難する人たちで激しく混み合っていた。座れたのはリンダちゃんと、90歳の曽祖母だけ。9時間かけて駅に到着したのは危険のある時間帯で、そのまま構内に5時間以上とどまった。
知人が段取りしてくれたリビウの家で1週間。ドイツの大学でカテリーナさんの働き口が見つかり、隣国ポーランドを越え、ドイツに入国。列車を乗り継ぎ3月中旬、避難先にたどり着いた。
「とてもハードな道のりでした」。そうメールに記したカテリーナさんは、日本で食べ慣れたおにぎりを買ったり、リンダちゃんが大好きなお絵描きをしたりと、落ち着いてきた様子を伝える一方、気掛かりなことも打ち明ける。自身の弟が従軍し、激しい攻撃を受けたキーウ州ブチャなどを転戦していることだ。
幼稚園長で、アソカ学園理事長の朝元百ももさん(61)は「よく知っているリンダちゃんたちが、こんなことになっているとは」と目を潤ませる。カテリーナさんは「現地の状況を知ってほしい」と、幼稚園から本紙への写真提供などに同意してくれたという。「いつかまた、浜松に行けることを願って」。メールはこう締めくくられていた。
◆避難民受け入れるポーランドは今
リンダちゃん一家の安否は、カテリーナさんの友人で「ポーランド市民交流友の会」の影山美恵子会長=浜松市北区、英会話教室経営=も心配していた。
友の会は20年以上、音楽などを通じて子どもたちが行き来する草の根交流を続けてきた。影山さんは侵攻直後からカテリーナさんに避難を強く勧め、ポーランドの友人を通じて受け入れ先の調整もしていた。
ドイツへ避難できたことに「本当に良かった」と胸をなでおろすが、300万人近くの避難民がポーランドに押し寄せる現状に心を痛める。3月ごろは大勢が駅で寝泊まりするような状況だった。
一方で、影山さんはポーランドの良さにあらためて気付いた。「国民の力もあって支援活動がシステム化され、今は駅での寝泊まりはなくなった。避難民の子は学校や医療、交通が無料になっているとも聞く」
どうしてそこまでできるのか、現地の友人に尋ねると、「ウクライナ人はポーランド人の身代わりのようになっている」との答えが返ってきた。ポーランドもロシアに虐げられた歴史があり、隣国を助けたい気持ちが強いのだという。
「ポーランドの人は義理人情に厚い」と影山さん。会の事業はコロナ禍でストップしているが、避難民への支援金を集めてポーランドに贈った。交流再開を待ち望みながら、「支援の輪が世界で広がってほしい」と祈る。
東京新聞 2022年5月16日 10時13分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/177581
引用元: ・バッグ1つですし詰めの列車を乗り継いだ…ウクライナからドイツへ避難した「リンちゃん」一家 [蚤の市★]
🤣
皆でボコれば民間人虐殺は止められるんだよ
話かと思った
ベトナム人女児を思い出すわ
可哀想
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