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広瀬旭荘(きょくそう)は、豊前海岸の浮殿(うきでん)塾から帰った後、体調を崩して病気がちとなり、ひどいときは呻吟呼号(しんぎんこごう)の声が昼夜続くほどであったという。1830(文政13)年の春ころ、旭荘は肉体的にも精神的にもかなり疲労していたと思われる。 文政13年閏(うるう)3月、淡窓…