1990年頃、東京都多摩地区に住んでいたとある20代の青年の暮らしは、手取り17万~20万円。そこから家賃6万円、駐車場1万円、ローン3万円、貯金1万円の出費があり、残金で食費光熱・接待交際費など。携帯電話などもまだない時代で、これで結構優雅に暮らせていた。
頭金100万円、ローン36回払いで買った日産S13シルビアで、週末は友人とドライブやファミレスでの談笑など、クルマはライフワークに欠かせない存在だった。
そんな時代から30数年が経過した現代と言えば、給与所得者の平均年収はさほど変わらず、手取りだけが減っていく。S13クラスのクルマと言えばGR86/BRZなどがあるが、100万円以上価格が上がっている。安全装備やハイテク装備で着ぶくれした躯体は重量と価格をかさ増ししてしまった。
しかし、今でもクルマに夢や希望を持つ子供や若者もいるだろう。そこで、30年前のクルマ事情を振り返りながら、筆者が考える「ちょっと背伸びをすれば手の届く夢のあるクルマ」を何台か紹介する。
文/井元康一郎、写真/日産、トヨタ、ホンダ、スバル
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■現在の日本人給与所得者年収はバブル全盛時とほとんど同じ
バブル崩壊から30年余年にわたって年収がほとんど上がらなかった日本。国税庁の調査によると、2020年の給与所得者の平均年収は433万円だった。
過去にさかのぼると、バブル真っ盛りの1990年が425万円、東日本大震災直後の2012年が412万円。若干の変動はあるが、ほぼ横這いだ。
一般的なサラリーマンが買うクルマも30年で劇的に変化した。バブル期の1980年代後半から1990年頃にかけてはハイソカー(高級車)ブーム、スポーツカーブーム、SUVブームなどが複合的に起こった空前のクルマブームが湧き起こり、売れるクルマも上級志向のものが中心だった。
■華やかな生活を求めてクルマを買った1980年代後半
実際、当時はクルマを作るメーカーが自分でびっくりするくらい高価格車が売れた。日産は1989年にR32スカイラインGT-Rを16年ぶりにリバイバルさせた。商品企画部門でも「500万円のスカイラインなんて誰が買うんだ」というのが一般的な見方で、モータースポーツのベースとイメージリーダーを兼ねるモデルとして少量生産するつもりだったのだが、リリースするや注文が殺到し、計画を大幅に見直したという逸話がある。
スカイラインGT-Rだけではない。同時期、日産の高級サルーンである初代シーマ、トヨタ初代セルシオ、ホンダのスポーツカー、初代NSXと、上級車が次々に登場し、それらの多くがメーカーの想定を大きく上回るセールスを記録したとなった。
もちろんバブル期といえども、それらのモデルは一般的なサラリーマンにとっては高嶺の花で、売れ筋はそれより下のクラスだった。が、より華やかな生活を求める風潮から上級志向は強く、平均より少し収入に余裕のあるユーザー層はトヨタの80系マークII、クレスタ、チェイサーの3兄弟、日産6代目ローレルなど、当時ブームとなっていた「ハイソカー」(高級車っぽいクルマを指す当時の言葉)や日産S13シルビア、ホンダ3代目プレリュード」などのスペシャルティカーに殺到した。
また、SUVの三菱2代目パジェロが当時最多販売モデルだったトヨタ6代目カローラを単月ながら抜いてトップに立ったことも、高額車ブームを象徴する出来事といえる。
■ハイテク化や安全装備で現代のクルマは高価になった
今日、自動車マーケットの様相は30年前とはまったく様変わりしている。軽自動車、Aセグメントミニ(トヨタのルーミー、スズキソリオなど)、Bセグメントサブコンパクト(トヨタヤリス、日産3代目ノートなど)の3カテゴリーが新車販売の圧倒的主流だ。
1990年と今日で、年収の額面自体に大きな違いはない。にもかかわらず、なぜこれほどまでにクルマの消費志向が変わってしまったのだろうか。
大前提として、クルマの値段が今と昔ではまったく異なるということは押さえておく必要がある。現代のクルマは環境規制対応や安全性向上のため、ハイテクの塊となっている。軽自動車ですらホンダN-WGNのようにステアリング制御ありのADAS(先進運転支援システム)を標準装備するモデルが出てきているほど。
エンジンも漏れなく可変バルブタイミング機構付きのDOHC。普通車ではコストアップの圧倒的大物、ハイブリッド機構を持つものが増えている。
また、全車種に共通する変化としてボディやシャシー(サスペンションやブレーキ)の性能が生半可なスポーツカーの存在意義を失わせしめるほどに向上したという点も見逃せない。
■海外での売れ筋主流のクルマはCセグメントコンパクト
これらの性能、機能向上を伴う変化はメーカーのコスト削減努力を超えたもので、大幅な価格アップをもたらした。先般、スズキが軽ベーシックのアルトをフルモデルチェンジしたが、お値段は47万円という衝撃価格を引っ提げて登場した初代モデルのおよそ2倍。これは一例で、ほぼすべてのモデルがハイテク化前に比べて1.5倍から2倍、あるいはそれ以上に高騰している。
クルマの価格上昇で買う側がそれまでより格下のクルマに乗り替えるというのは世界的に起こっている現象ではある。それをマイルドに表現した言葉が「ダウンサイザー」というヤツだ。
が、日本のダウンサイザーぶりは突出している。欧州市場でも北米市場でも販売のボリュームが大きいのは依然としてCセグメントコンパクト(VWゴルフなど)以上のクラスであって、シティカー扱いされるミニやサブコンパクトに消費が偏るには至っていない。
■世界の経済成長に取り残された国、日本
日本がそうなっているのはもう、四半世紀に渡ってデフレが続いてきたことにより、所得が上がっていないことが圧倒的な第一要因と考えざるを得ない。
本来、デフレが続けば円の価値は相対的に1ドル=80円、70円……と上がるはずなのだが、それでは国際競争力が維持できないということで量的緩和を続けたことで、為替レートは本来よりかなり円安になっている。
1990年の425万円に対して2020年が435万円というのは、日本円の数字としては横ばいだが、世界経済との対比では大暴落なのだ。
■社会保障費や税金が増えて可処分所得は減っている
額面年収が上がっていないばかりではない。一方、社会保障費や税金は確実に上昇している。
それに加えて大きな重圧になっているのが教育費。義務教育や高校では公立学校の教育力が落ちているのに伴って子女を私立学校に通わせるケースが増えているが、その場合、国公立大学に近いくらいのコストがかかる。
その国公立大学の授業料は年額53万5800円と、バブル期の1.8~2.2倍に高騰している。かつて平均的なサラリーマンにとってクルマは家の次に高い買い物と言われていたが、今や子女を学校に出すコストのほうがクルマよりはるかに高いというありさまである。
税金、生きていくのに必要なベースコスト、そして教育費などを引いていくと、額面は同じ400万円前半でも自由に使える可処分所得は大幅に下がっている。
それでいてクルマの値段が上がっているのだから、上等なクルマなど買っている場合ではない。サブコンパクトクラスのクルマを購入、維持しているだけでも現代の日本では押しも押されもしない中流なのだ。
■筆者が考える300万円台の夢があるクルマ
それではいくら何でも夢がない。ミニバンやSUVも悪くはないが、走りを楽しみたいーーというユーザーが背伸びをする場合、ターゲットとなるのは300万円台、できればその前半のモデルであろう。
バブル期であればトヨタ2代目ソアラ2.0GTツインターボくらいに相当する価格帯だが、現代ではトヨタGR86やスバル2代目BRZ、ホンダのシビックなどがこれにあたる。どちらも走りは素晴らしくチューニングされており、スポーツドライビングも思うがままだ。
最小回転半径が6mという小回りのきかなさに目をつぶれば、生粋のモータースポーツベースGRヤリスRCにエアコンを装着したものが350万円以内に収まる。筆者は一般向けグレードのRZハイパフォーマンスしかテストドライブしたことがないが、サスペンションのフリクションの小ささ、エンジンパワー、マニュアルシフトの気持ちよさなどなど、素晴らしい出来となっている。
■クルマに感じる魅力や価値は人それぞれ
収入がどこまでも上がっていくような錯覚に世の中が丸ごと陥っていたバブル時代でさえ、若年ユーザーがソアラを乗り回すなどというのはレアケースだった。
それより経済情勢が厳しいなかで車両本体価格300万円台のクルマに手を出すのは、通常であればよほど給与が高い企業に勤めているか、投資で利益を継続的に出せているか、もともと資産家の一族であるといったことでもないかぎり、可処分所得の相当分を削り飛ばすことになる。
が、クルマの価格は今後上がることはあっても下がる見通しはないということを考えると、あえて背伸び気味のクルマ選びをするというのも悪くはない。何にお金を使うか、その選択はまさに自分のライフスタイル次第なのだから。
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