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三善康信[みよしやすのぶ]が今回遣わした使者も、いつもと変わらぬ月に三度の定期便の一つであったが、文に書かれた都の情勢には、見過ごせない「兆し」があった。 そこには、後白河院[ごしらかわいん]の皇太后で、今上帝高倉[たかくら]天皇の生母、建春門院[けんしゅんもんいん](平滋子[し…