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<p>第755回:どんなブランドだって最初は無名 欧州上陸直後のダットサン車を売り歩いた人々 【マッキナ あらモーダ!】 – webCG</p><p>[マッキナ あらモーダ!]第755回:どんなブランドだって最初は無名 欧州上陸直後のダットサン車を売り歩いた人々</p><p>日産が2022年4月に廃止した新生ダットサンブランドだが、今から50年以上前の欧州市場進出時には、日産ではなくダットサンブランドが主体だった。販売の最前線にいた人々から、大矢アキオが当時のエピソードを聞き出した。</p><p>『オートモーティブ・ニュース電子版』は2022年4月25日、日産自動車がダットサンブランドを廃止したと伝えた。日産は2012年、当時CEO(最高経営責任者)を務めていたカルロス・ゴーン氏のもと、新興国市場向け低価格ブランドとしてダットサンの名称復活を決定。実際に2014年からインドネシアとインド、ロシアで展開を図った。しかし各国で販売が伸び悩んだことから、今回の決定に至ったという。 同日には、英国BBCも同様の内容を報じた。筆者が確認したところ、2022年4月30日現在、すでに日産自動車の企業ウェブサイト内のブランド一覧からダットサンは消えている。 当然のことながら、この新生ダットサンは多くの関係者が携わった計画である。彼らの労苦は、外部者である筆者では計り知れない。また、筆者はここ四半世紀、欧州の自動車事情は観察してきたが、ダットサンが目指した新興国市場について論じるのには限界がある。しかしながらこのダットサン計画が発足した時点から、前途多難な予感があったのも事実だ。 ひとつは日産ブランドの性格である。欧州を例にとれば、初心者が乗る「マイクラ(ミクラ)」から「GT-R」まで、さらにマイクロバス代わりに使われている「プリマスター」やスペインの日産モトール・イベリカ製トラックまで、すべて日産なのだ。ポピュラーカーのメーカーなのか、SUVやハイパフォーマンスカーのブランドなのか、はたまた商用車メーカーなのか、ユーザーの間で、その認識は定まっていない。「フルラインのブランドならメルセデス・ベンツがある」というなかれ。彼らは揺るぎない高級車のイメージを、小型車や商用車にも活用しているのである。高級ブランドとしてのイメージを確立していない日産の場合、そこにダットサンを加えても、一般ユーザーにとっては、マイクラと何が違うのか理解できない。 第2は、ルノー・日産・三菱のアライアンスにおけるルノーの姉妹ブランド、ダチアとのバッティングだ。ルーマニアのライセンス生産拠点にすぎなかったダチアだが、2004年の初代「ローガン」の成功以来、東欧や北アフリカで着々と販路を拡大し、西欧諸国でも大きなシェアを確保した。例えば、2021年のイタリア新車登録台数で「ダチア・サンデロ」(本欄の 第722回 参照)は8位に入っている。確かにモデルチェンジごとに車格を向上させて、もはや初代ローガンのようなチープ感はなくなったダチアである。だが同じアライアンス内に、たとえ照準とする市場が異なっても、ダチアとダットサンというエントリー用ブランドが2つは要らないだろう、という疑問を筆者は感じていた。 第3は日産の社風である。あらためて言えば、外部者である筆者が口を挟むことに限界があるのは承知だ。だが少なからず示唆を与えてくれるのは、1981年の英国工場立ち上げに尽力し、副社長も務めた森山 寛氏の著書『もっと楽しく – これまでの日産 これからの日産』(講談社出版サービスセンター 2006年初版)である。氏は社内風土として、当時の日産に「計画のウソ」が存在したことを指摘している。社長だった石原 俊氏が海外展開を推進するなか、さまざまな案が浮上したが、それらの多くがいわば計画のための計画であったというのだ。その実例として、アルファ・ロメオとの合弁計画「アルナ」を挙げている。筆者(=大矢)は、石原氏をゴーン氏に、アルナ計画を新生ダットサン計画に置き換えることができると思う。何か立案を迫られ、前述したような日産ブランドの立ち位置を客観的に捉えないまま、計画ばかりが進んでしまった。それが新生ダットサン計画だった気がしてならないのである。 新生ダットサンは、新興国向けの低価格車を目指していたが、ブランドが廃止されることになった。</p>