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今春の選抜高校野球大会で準優勝した近江高野球部が、表敬訪問先の地元・滋賀県彦根市役所で、市のキャラクター「ひこにゃん」と記念撮影したことについて、日本高野連が学生野球憲章で定める「選手の商業利用の禁止」に当たるとの見解を示したと6日に報じられ、ネットで総スカンを喰らう事態になっている。

ひこにゃん(編集部撮影)

ネット民、総ツッコミ状態に

騒動の発端は、実質的な地元紙の京都新聞が6日夜、彦根市が選手たちとひこにゃんが一緒に収まった記念写真を市のSNSにアップできないことを突き止めて報道した。これによると、ひこにゃんは選手たちにはサプライズで登場だったらしい。県の高野連は「近江高が予測できないケース」とは認定したが、規定に抵触する恐れを通達したという。

京都新聞の公式ツイッターにはツッコミが続出。

ひこにゃんて、市の公式キャラクターじゃないの?こんなことで「抵触」なら、甲子園で入場料取らなきゃいい!

高校野球を商業的に利用してはならないのなら私立高校は甲子園に出れないし高校野球をテレビで放送してはならないし新聞にも載せてはならないし甲子園球場に広告を載せてはならないし球場内で物販をしてはならないし入場料も取ってはならないし各メーカー名も隠して衣服道具は使うという事だね。

何がいけないのか、わからない。別にその写真を「ひこにゃんグッズ」として販売するわけでもなかろうに。それよりも、大会終了後に新聞社から出版される特集号の方が高校野球を利用しているような気が。

ひこにゃんは彦根市長が指定した公式キャラクター。つまり市の広報担当。これがダメとなると市長との写真もダメなのでは?

などなど、一晩で250を超えるコメントが書き込まれている。

改まらないアマチュア原理主義

「ひこにゃん」は彦根城の400年記念で作られ、彦根市が商標登録している「公的」な存在だ。ましてや今回はただの記念撮影。せいぜい市が町おこしのアピールに使う程度の話で、企業が自社の宣伝に選手たちをあからさまに利用するようなケースとは全く異なる。野球憲章を巡る高野連の解釈を巡っては、これまでも物議を醸してきたが、現実離れした「アマチュア原理主義」とも言える高野連の体質は一向に改まる様子がない。

2019年夏には高知商の野球部員が同校のダンス同好会の発表会に出演したが、これが会場費など賄うために少額とは言え入場料を取っていたことを高野連は憲章違反だと問題視。野球部長の処分を検討したが、世論が猛反発。日本サッカー協会の川淵三郎名誉会長が怒りの声を上げ、スポーツ庁の鈴木大地長官(当時)も懸念を示したことで高野連はビビり始め、処分を撤回する騒ぎがあった。この騒動の時、文科相経験者のベテラン議員は筆者に「高野連は相変わらず」と呆れていたのを思い出す。

bee32/iStock

今回の騒ぎと共通するのは「想定外」の事態への対応だ。京都新聞の取材に対し、「自治体のキャラクターとの写真撮影などについて明確なルールがなく、今回はより慎重な対応をお願いした」などとコメントしているようだが、高野連は昔から「想定外」に実に弱い。高校野球を取り巻く環境は実に多様化、複雑化している。学生野球憲章は戦後まもない1950年に制定されたが、当時は自治体がゆるキャラを作るなどとは夢にも思わない時代だった。

そもそもネットのツッコミが続出したように、アマチュアリズムを過度に振りかざせば、自己矛盾に突き当たってしまう。高校野球(甲子園)のコンテンツ自体が主催者である高野連や新聞社、ひいては私立を中心とした学校の「商業利用」としての側面は100%ないとでも言えるのか。もはや偽善的で滑稽ですらある。

15年前の危機は忘却の彼方へ

最近は記憶が薄れ始めているが、野球憲章がまさに根底から脅かされたのが、そうした実態とかけ離れていたからだった。筆者が新聞社のアマチュア野球担当記者だった2000年代後半、憲章は改正作業を余儀なくされた。そのきっかけは2007年に発覚したプロ球団によるアマチュア選手の「栄養費」問題だったが、そこから飛び火して私立高が特待生制度を使って有能な選手を各地から集めていたことが、当時の野球憲章に抵触するのではないかと矛盾が浮き彫りになった。

もちろん高野連はそんな実態は放置していたが、「栄養費」問題を機に注目が集まってしまい、実態を無理やり憲章に合わせようとして、今度は私立高サイドが猛反発。当時の日本私立中学高等学校連合会の上層部は、高野連を脱退し、新大会の構想(俗に「第2甲子園」構想)を創設することを真剣に模索し始め、読売新聞や中日新聞に水面下で打診までしていた。

この話は知る人ぞ知る話だが、強豪私立高がいなくなれば、大会が“興行面”で成立しなくなるのは明らかだ。さすがに高野連も慌てたはずだ。結局、日本学生野球協会が憲章改正に動き出し、2010年に改正され、「甲子園分裂」の事なきを得たが、憲章改正後もこうした問題を繰り返すあたり、高野連の旧態的かつ硬直的な体質が相変わらずだというしかない。

たびたび批判されても変わらないのは、結局、ステークホルダーにともに甲子園大会を主催する朝日新聞や毎日新聞、中継するNHKなどのマスコミが入ってしまっていることも、改革の世論に火がつかない構造になっているからだ。「甲子園」は変わることがないまま、時代に取り残されていく日本のシンボリックな存在とすら言える。