ロシアのウクライナを侵略戦争における最大級の衝撃が訪れた。ロシア軍の占領から解放されたブチャをはじめとするキーウ州の各地で、凄惨な市民の集団殺害、拷問、レイプの被害者たちの遺体が次々と見つかったのだ。
埋められている遺体も相当数ある可能性があり、全貌が明らかになるまでにはしばらくかかるだろう。だが戦争犯罪あるいは人道に対する罪が発生していたこと自体は明白なので、膨大な量の証拠にもとづいて捜査は可能な限り進められていくはずである。
すでに4月3日には国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチは現地調査にもとづくチェルニーヒウ州、キーウ州、ハルキウ州における殺人やレイプなどの犯罪行為を詳細に明らかにする報告書を出している。明白な侵略戦争の最中に行われた残虐行為の数々が、白日の下にさらされている。国際社会の法秩序の未来のためにも、しっかりとした対応が強く求められる。戦争はまだ続いている。無処罰では済ませないという態度を見せることが、さらなる惨劇を抑止するためにも重要になってくる。
捜査はどのように進められるのか
ウクライナ領内での犯罪なので、第一義的にはウクライナ政府に捜査権がある。その規模の大きさと特殊な性格から、ゼレンスキー大統領は、捜査のために特別な仕組みを作ると表明した。同時に、国際的な捜査を受け入れる。すでに3月から国際刑事裁判所(International Criminal Court: ICC)が戦争犯罪の予備的捜査を開始しており、主任検察官であるカリム・カーンは、3月中旬にウクライナ西部を訪問している(参照:ICCサイト)。
GDP規模で貢献度が決まる仕組みを持つICCは、アメリカと中国が未加盟であるため、日本が最大の資金提供国だ。18名の判事のうちの1名が日本人である。私の30年来の友人や、私が大学院で指導した者・私が責任者を務める外務省委託人材育成研修事業の修了生が、職員として勤務している。私自身も、数年前に公式に客員研究員の肩書をもらって内部に入って共同作業をしていた時期がある。
だが残念ながら、国際人道法の教育の不足を反映して、約900名の職員のうち、邦人職員は12名程度にとどまっている。日本国内の関心も高いとは言えないだろう。ICCで働く私の友人は、日本ではメディア関係者でも、ICCとICJ(International Court of Justice[国際司法裁判所])(個人の犯罪ではなく、国家間の関係を審理する)を混同している人がいる、とよくこぼしている。
これまでのICCの捜査対象16地域のうち、起訴に至っている事件は、全て日本から離れたアフリカ諸国における戦争犯罪であった。そこに3月になってジョージアの事件で、南オセチア行政機構の大臣級とされる人物ら3名に対する逮捕状の請求が発表されたところである。その際、ロシアの占領軍の関与も示唆され、同じパターンがウクライナでも見られることが言及された(参照:ICCサイト)。
大多数の諸国がICCに加入しているヨーロッパのウクライナに関する捜査が正式なものになれば、ICCにとっても重要だ。同時に、日本にとってもICCへの貢献を発展し直す機会になるだろう。
ICCに何ができるのか
ICCは検察機能を持つ法機関であり、国内政府が対処に困難を持つ戦争犯罪などの捜査にあたる。今回の場合、犯罪の実行犯はウクライナ国外にいる可能性が高く、ロシアもベラルーシも捜査に協力するとは思われないので、特定個人の訴追にこぎつけるまでには困難も予測される。
だがウクライナ政府は、かなり詳細なロシア軍兵士の情報を持っているようであり、特に高級将校は把握されている。犯罪が組織的に行われたことが明白であれば、まずは当該地域に展開していた部隊の責任者の罪が問われることになる。上官命令が証明できれば、第一義的な法的責任は上官が負う。部下の犯罪行為を知りながら停止を命令しなかった場合にも、やはり上官に法的責任が発生する。
指揮命令系統は最上位の意思決定者までさかのぼっていくことができるので、国家の最高責任者であるプーチン大統領にまで行きつく可能性はある。過去には、国家元首が国際裁判所によって訴追されたことがある。旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)によってセルビア共和国のミロシェビッチ大統領が、シエラレオネ特別法廷(SCSL)によってリベリアのテイラー大統領が、訴追・逮捕・収監された。ICCも、スーダンのバシール元大統領を訴追している。現在、クーデター政権によってバシール元大統領は収監されており、その身柄のICCのあるハーグへの移送は、大きな問題となっている。
どのようにして国家元首が国際裁判所に移送されてくるのかと言えば、政治変動によってである。ミロシェビッチやテイラーの場合、国内の敵対勢力が政権を奪い、彼らを逮捕し、国際裁判所に移送した。果たして国際裁判所の訴追が、政治変動を引き起こす要素になるのか、むしろ権力者が権力に居直り続ける要素になってしまうのかは、政治情勢次第である。
しかし仮に逮捕できない場合でも、犯罪者を犯罪者として訴追することには、「国際的な法の支配」の秩序を維持していくためには、大きな意味がある。
日本は国際的な法の支配を推進すべき
日本では、極東軍事裁判が「勝者の裁判」だったので正当性が薄弱だ、という考えが根強く存在しているように思われる。そのため現代の国際刑事裁判一般について懐疑的な見方があるように思われる。また、憲法学者に異様なまでに権力が集中している社会構造において、国際法などは法ではない、といった偏見が公然と語られる異常も発生しがちである。
だがそのような事情でICCに対しても信用しきれない態度を見せてしまったら、「国際的な法の支配」を推進する国になれない。
今回のウクライナの捜査の付託を行った国々の中に日本が入ったのは良かった。123の加入国のうちの41カ国による検察官への捜査の付託がなされたが、その内訳は、欧州諸国にカナダ、コスタリカ、オーストラリア、ニュージーランドが加わった国々だ。日本が唯一のアジアの(非欧米系の)付託国である。そのため日本が追加的に加わった際には、カーン主任検察官が日本を特筆して感謝を表明した(参照:ICCサイト)。
3月2日に国連総会でロシアを「侵略」国として非難する決議が採択された際、141カ国が賛成票を投じた。反対は、ロシアを含めて5カ国であった。35カ国が棄権し、その他の12カ国が投票に参加しなかった。ロシアの「侵略」行為を認める国はわずかで、圧倒的な数の賛成国数である。
しかし同時に、核保有軍事大国に対してどこまで厳しい態度をとるかは、中国やインドなどの有力国を含めた各国の間に様々な思いがあることも見てとれた。特にアジア・アフリカ地域で躊躇が顕著だ。その状況で、アジアの日本が、同盟国・友好国とともに経済制裁も実施し、様々な場面で一貫して「国際的な法の支配」を維持するための行動をとっていることは、国際的な外交努力の潮流に少なからぬ影響を与える重要な事実である。
日本においても、ロシアの侵略開始後、日本国内では「降伏」論や「どっちもどっち」論が起こり、議論を呼んだ。だが21世紀ではほとんど初めての本格的な主権国家同士の戦争である今回の事例は、他の地域紛争の事例など比べるとかなりはっきりと、紛争当事者の一方が国際法違反を犯した侵略者で、もう片方が正当な自衛権を行使している防衛者の構図がはっきりしている。もし日本が、今回の戦争をめぐっても善悪の判断ができないようでは、もはや「国際的な法の支配」を語ることなどできない国になってしまうだろう。
「降伏」論や「どっちもどっち」論とは、危機に直面した際、政策判断ができず、判断そのものを放棄してしまうような思考方法のことだ。国際社会にも法秩序があること、崩れてしまっては皆が大きな損失を受ける諸原則があることを忘れてしまうと、その場限りの安易な選択に逃げ道を探すしかなくなる。日本自身が、危機にしっかりと対応していくためには、国際秩序を支える法原則に対する深い理解と関与が、絶対に必要である。