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 南極観測といえばタロ・ジロを筆頭とするカラフト犬が有名だが、犬ぞりを引いていたのは観測が始まった1956年から数年のみ。現在はそもそも、環境保護の観点から生き物の持ち込みは南極条約で禁止されている。

 そのかわりに拡充していったのが雪上車をはじめとした装軌車やトラックといった車両郡で、今日も観測隊の活動や暮らしを支えてる。

 日本の南極観測を支える車両と隊員はどのように携わり、限られた物資のなかで運用されているのだろうか。国立極地研究所南極観測センター設備支援チーム(取材当時)の石﨑教夫氏に聞いた。

文/フルロード編集部 写真・資料提供/フルロード編集部・国立極地研究所
*2017年9月発行「フルロード」第26号より


■南極での輸送と作業の現場車両の運転とオペレーターは?

 物資の輸送や作業はどうなっているのだろうか。

 海氷に囲まれた昭和基地には港の設備がなく、観測隊の物資を運ぶ「しらせ」も海氷に接岸することになる。その年の海氷の状況によっても異なるが、昭和基地から約1kmの距離を目安にしており、これは昭和基地の燃料タンクにホースで燃料を送油する際の目安と一緒だ。

 ヘリコプターによる輸送も行なわれるが、氷上輸送ではトラックは氷上を走れないため、「しらせ」から12ftコンテナなどを専用のそりに荷降ろしして、雪上車で牽引して昭和基地の荷揚げ場まで運ぶ。

 荷揚げ場ではラフテレーンクレーンや大型フォークリフトでトラックに載せ替え、コンテナヤードまで陸上輸送が行なわれる。この氷上輸送は、何日間も継続されるという。

 「しらせ」の観測隊物資の最大積載量は1200t。そのうちの60%が燃料である。12ftコンテナは56基搭載できるが、そのうち8基がリーファーコンテナで、冷凍・冷蔵の越冬用食料が入っている。ちなみに、越冬用食料は1人につき約1tが目安だそうだ。

南極観測船「しらせ」の接岸は海氷の状態などにより、その年によってまちまち。到着後、パイプラインによる燃料の輸送や雪上車による氷上輸送が行なわれる

 では、装輪車や装軌車の運転はどうしているのだろうか。

 実は、新たに大きな建物を建てる予定がある時などは、クレーンやパワーショベルといった建機のオペレーターが隊に加わることはあるが、基本的には素人の隊員が運転することになるという。

 初めて越冬隊に参加する人は、「しらせ」でもいろいろな講習会を受けるが、昭和基地に着いてからも実地で講習をして、少しずつ覚えていくことになる。

 免許は持っていないけれど、運転させたらセンスの良い人、そういう人が仮オペレーターに認定される。

 実際問題、ブルドーザやパワーショベルなどがあっても、運転する人間がいなければ、除雪が進まない。そうやって実地で覚えてもらうしかなのだ。

 装輪車の走る道はある程度均してあるものの、岩盤が露出したデコボコ道。南極は地層が古いから岩盤が非常に圧縮されていて硬く、クルマの運転で如実に「人」が出てしまうという。ちなみに、南極では10km/hでも飛ばし過ぎだとか。

 車両担当の主任には、定期的に人員を派遣しているいすゞ自動車、ヤンマー、大原鉄工所、関電工などのメーカー出身者から、経験者で、なおかつ取りまとめができる人にお願いしているという。

■事故や故障、メンテナンス……南極ならではの苦労と工夫

 事故や故障、メンテナンスについてはどうだろうか。

 はじめは慎重な運転をする人が多いためか、意外にもパンクは少ないという。いっぽう作業車は感覚が掴みづらいようで、クレーンで吊ったまま動かしてケーブルラックに突っ込んで壊してしまったなんてこともあったそうだ。

 現在、トラックは四輪駆動車が増え、以前は半々だった4×2はもう2~3台しか残っていない。四駆にしないとすぐスタックしてしまうためだ。車両自体はタイヤがブロックタイヤを履いているくらいで、あとは特に変わりはない。

 オイル交換等は定期的にやっており、稼働時間も短いのでエンジンなど心臓部の故障に関しては少ないが、動作部分の故障はけっこう多いようだ。

 昭和基地の冬場の気温はマイナス40℃ほど。雪上車はマイナス80℃という極寒の環境でも走らせなければならないケースもあり、その時は何種類か用意している燃料のうち、南極用低温燃料という特別に調整した燃料が使われる。不凍液は濃度が高い一般のものを使っているという。

 潤滑油や作動油もできるだけ共通で使えるものが選ばれる。量は1年分にプラスαして何かあったときのために余分に持ってきているが、大型のラフタークレーンに重故障があったときは作動油を1回全部抜いたら足りなくなってしまったなんてこともあったようだ。

 車両の故障に関しては、だいたいメーカーの担当者が何とかしてしまうという。部品が無ければ作ってしまうというのが南極流で、そのためにトラックならいすゞで統一し、同じクラスの車両を補充しなければならない時は、同じ型番のクルマを敢えて選ぶそうだ。

 ちなみに南極観測が始まった当初からトラックはいすゞなので、すでに60年以上の歴史があることになる。

 重故障の場合は、調子が悪いクルマとニコイチにして、動くようにするケースもよくあるそうだ。直せないものは持って帰って、日本でオーバーホールをして、また持ってくるといったことが行なわれている。

 車両の代替え時期はだいたい10年だが、世界各国が加盟している「南極に持っていったものは必ず持って帰らなければならない」という決まりがあり、完全に廃車の場合は必ず持って帰らなければならない。昭和基地で出た廃棄物や生活ゴミなども同様だ。

これまで活躍したトラックが、廃棄車両として日本に送り返される日がやってきた

■内陸へ1000キロドームふじ基地への調査旅行の実際

 南極大陸の広さは日本の約37倍。日本の観測基地は、昭和基地のほか、1970年開設のみずほ基地(昭和基地から南東約270kmの距離。現在は閉鎖)、1985年開設のあすか基地(昭和基地から西約570km。現在は閉鎖)、そして1995年に開設されたドームふじ基地がある。

 今は昭和基地以外ではドームふじだけが機能しているが、かつては越冬隊が滞在していたものの、観測機器の自動化などにより、現在はドームふじも夏期のみ開設しているそうだ。

 このドームふじへの長距離の旅行にはなかなか大変な苦労がある。

 ドームふじは、内陸へ1000km、標高も3810mあり、雪上車での移動は時速7kmで片道1カ月近くかかる。

 大型雪上車のSM100Sは、耐高地性に優れるが、標高が徐々に高くなるので、燃費はリッター0.25kmくらいに低下することもある。7台のそりに燃料をたくさん積んでけん引していくのだが、それでも足りなくなる。そこで途中に燃料の中継デポを事前に設けて、空になったドラム缶と交換して進んでいくという。

ソリに積まれたドラム缶から燃料を給油しているところ。内陸での一コマだ

 ルートには4kmごとに旗竿でつくった目印がある。見失ってルートを外れたら危険だと思うが、装軌車で踏み固めたルートなので道からズレると雪を踏みしめる音が違い、案外わかるものなんだそうだ。

 ふじへの調査旅行では雪上車が4台、それぞれが7台のそりを引く。隊員は、雪上車1台につき2名が基本で、8名から10名が参加する。

 湿度が10%以下なので、水分はこまめに摂らなくてはならない。もちろん移動中は風呂もシャワーもないが、寒いので全然臭わないという。トイレは車外でする。大きいほうでも数分間もいたら命に関わるため、トイレに行くのも命がけとなる。

 南極観測は、日本が世界に先駆けて発見したオゾンホールの問題一つをとっても、長年にわたって継続的に地道な観測を続けてきた成果が実を結ぶものだ。

 その意味では地球の未来を読み解く鍵を握っているといっても過言ではないと思う。その日本の南極観測を支える車両と人々は、まさに地球の縁の下の力持ちだろう。

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