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 WRC(世界ラリー選手権)はターマック(舗装路)とグラベル(未舗装の悪路)で争われるが、よりラリーらしいといえるのはグラベルだろう。そんな未舗装路を走れるようにセッティングされたマシンではあるが、それでも走れる場所は限定されている。

 今回は崖から滑り落ちながらも、不屈の闘志でコースに戻ったニール・ベイツのカローラWRCの決定的瞬間をお届けしよう!

文・写真/佐久間健

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■オーストラリアンドライバーを襲った悲劇

今ニール・ベイツは、日本ではあまりなじみがないが、オーストラリアでは有名なドライバーで、ラリーやサーキットレースなどのキャリアを持つ

 今回紹介するニール・ベイツは、日本ではあまりなじみがないが、オーストラリアではドライバーとして結構名前は通っており、ラリーやサーキットレースなどのキャリアを持つ。

 1997年のラリー・オーストラリアでは、トヨタカストロールチームからのエントリーでカローラWRCを走らせていた。この年のラリー・オーストラリアは、西海岸の町のパースを中心に行われた。

 例年このラリーは9月中旬に行われていたが、この年は10月末の開催になった。春から夏にかけて雨の少ない季節のために猛烈な埃が立ち込め、この地方独特のボールベアリングロードと呼ばれる、球状の小さな砂利による滑りやすい路面がラリースト達を苦しめていた。

 私が撮影ポイントに選んだのは山中に入った右コーナーの近くで、アップでラリー車が撮れるところに陣取った。このポイントは対面に一つ前の左コーナーがあり、こちらに向かってくるラリー車が見える地点でもあった。

 だがそこまでは結構距離があり、撮影するコーナーとしてはあまり良くなかったのだが、ラリー車の巻き上げる埃は迫力があるので、もしもに備えてカメラのファインダーでマシンを追いかけて、目前の右コーナーでシャッターを押していたのだった。

■自力で脱出を遂げたカローラWRC

ニール・ベイツのカローラWRCはがけ下に落ちたが、なんとか自力で這い上がり、コースへの復帰を遂げた

 そんな時、やって来たカローラWRCが、次の瞬間そのままアウト側にコースアウト! というかコーナー外側の斜面を少し走って、やがて真下方向に落ちていった。そして10メートル位落ちた所で、一旦カローラは止まった。

 この隙に慌ててフィルムを交換! 要した時間は30秒くらいだろうか。いつマシンが動き出すかドキドキしながらであった。

 以前マキネンの事故の時も書いたが、この当時はフィルムカメラなので最大で36枚程度しか撮影できない。この時もすでに25枚くらいシャッターを切った後で、残り12枚(36枚撮りのフィルムは37枚くらい撮影できた)で撮り始めたので、連写とはいってもシャッターを押しっぱなしにはしていない。

 カローラは止まってから、少しもがきながら強引に斜面を登ってコースに復帰していった。その後に撮ったのが、正面からの写真だが、このカットでこの時このカローラがニール・ベイツのマシンだと分かったのだった。

 こんなアクシデントにあいながらも、ベイツはラリー・オーストラリアを総合8位でフィニッシュしている。

●解説●

 ニール・ベイツはオーストラリアのレーシングドライバーで、ラリーやツーリングカー選手権で活躍している。主にトヨタ系のマシンで参戦を重ねており、1997年はカストロールのカローラWRCとプライベートチームのセリカGT-FOURでWRC活動を行った。

 また同年のツーリングカー選手権にはカムリで参戦している。

 1997年のラリー・オーストラリアではトヨタカローラWRCと三菱ランサーエボリューション、スバルインプレッサWRCが激戦を繰り広げ、最終的に優勝したのは、インプレッサのコリン・マクレーであった。2位に三菱のマキネン、3位にトヨタのオリオールが入った。

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