もっと詳しく

 ひとつのバス事業者を掘り下げて紹介する、バスマガジンの名物コーナー、バス会社潜入レポート。今回は2017年に遡って、9月発売号で掲載した東野(とうや)交通編を振り返って紹介する。

 東野交通は宇都宮市に本社を置き、栃木県の東部・北部をエリアに、路線バス、貸切バス、特定バスを営業。エリア内と新宿・羽田空港を結ぶ高速バスも運行している。

 また索道事業として、那須ロープウェイの営業を行っている。2016(平成28)年12月からみちのりホールディングスの傘下に入り、県内の関東自動車とグループ会社となった。

(記事の内容は、2017年9月現在のものです)
構成・執筆・写真/加藤佳一(B.J.エディターズ)
※2017年9月発売《バスマガジンvol.85》『おじゃまします! バス会社潜入レポート』より
(東野交通特集 その1)


■宇都宮地区では生活路線を拡充 那須高原では観光客の足を担う

●JR宇都宮駅

JR宇都宮駅の西口では14・15番乗り場を使用。宇都宮東武と真岡・益子・卸団地・岡本駅方面を結ぶ路線が発着している

 東野交通は1916(大正5)年2月に設立された東野鉄道を前身とし、鉄道が全廃された翌年の69(昭和44)年6月に現在の社名となった。2016(平成28)年2月には創立100周年を迎えている。

 この間、60年代に東武鉄道の関連会社となったが、16年12月にはみちのりホールディングスの傘下に入り、新たなスタートを切った。

 事業の主軸が鉄道からバスに移行しつつあった50年代、本社を黒羽町から宇都宮市に移転。現在の本社は宇都宮市の平出(ひらいで)工業団地にあり、営業拠点は本社営業所と真岡(もおか)車庫、黒磯営業所である。

 このほか西原、益子(ましこ)、馬頭(ばとう)、黒羽の各車庫にも車両が駐在している。乗合バス営業キロは711.5km、従業員数は160人となっている。

●宇都宮東武

東武宇都宮駅前にある東野交通のバスターミナル。2kmほど離れた西原車庫とともに東野バス路線の西側の起終点となっている

 本社営業所・真岡車庫の所管路線は主にJR宇都宮線と真岡鐵道の間に広がり、東武宇都宮線沿線にも足を延ばしている。近年はJR岡本駅西側の住宅地や平出工業団地で路線の拡充が図られ、大型商業施設のベルモールへの乗り入れも行われている。

 半面、喜連川(きつれがわ)・馬頭地区では沿線環境の変化を踏まえ、宇都宮地区に直通していた路線がJR氏家駅発着に短縮されている。

 今後、宇都宮市の東部にはLRTの建設が予定されており、グループ会社となった関東自動車と協力しながら、地域に根ざしたきめ細かなバスサービスを提供することが期待されている。

 一方、黒磯営業所の所管路線は大田原地区と那須高原地区に二分される。

 大田原地区は西那須野~黒羽~小川間で鉄道を営業していた同社発祥の地であるが、鉄道廃止後の70年代には沿線の過疎化が進行。生活路線の多くが廃止され、一部は自治体の自主運行バスによって代替された。

 このうち、大田原市営バスは市町村合併などにより規模が拡大。東野交通との競合も見られるようになった。このため、13(平成25)年には東野交通と市が協調して路線を再編。東野交通の大田原市内区間は市営バスと運賃が統一された。

 那須高原地区は那須温泉・那須ロープウェイや板室(いたむろ)温泉にアクセスする観光路線が中心。黒磯駅を起点として開設され、東北新幹線開業後は那須塩原駅に乗り入れている。マイカー利用者の増加が続いてきたが、近年は若年層のマイカー離れなどを背景に、シーズンには多くの観光客で賑わっている。

■高速バスは羽田空港と新宿へ 貸切事業は傘下の2社と分担

●ベルモール前

2004(平成16)年にオープンした大型商業施設「ベルモール」。東野交通、関東自動車、JRバス関東の3社が揃って乗り入れている

 高速バスは00年代に入って開業し、現在は2路線を営業している。宇都宮~羽田空港間「マロニエ号」は関東自動車・東京空港交通との共同運行。東野交通は同社本社営業所~JR宇都宮駅西口~羽田空港系統2往復を担当している。

 那須高原~新宿間「那須・塩原号」はJRバス関東との共同運行。東野交通は那須湯本温泉~バスタ新宿系統2往復および西那須野駅~バスタ新宿系統1往復を担当している。

 特定バスとして、本社営業所が作新学院スクールバス、黒磯営業所が矢板中央高校スクールバスと那須ガーデンアウトレット無料シャトルバスの運行を受託。貸切バスはほとんどが本社営業所に所属し、県北の貸切バス事業は東野交通傘下の那須交通とやしお観光バスが営業している。

 なお、やしお観光バスは那須烏山市営バスと那須塩原市営バスの運行も受託している。

■西那須野~黒羽~那須小川間を結んでいた東野鉄道

開業時に鉄道省から払い下げられた1号機関車。ディーゼル化後は予備機となり、全線廃止の日まで在籍した(写真提供:東野交通)

 東野鉄道は1918(大正7)年4月に西那須野~黒羽間、1924(大正13)年12月に黒羽~那須小川間が開業した。当初は常陸大子(だいご)への延伸を計画していたが、昭和恐慌により路線延長を断念。存在意義を失った黒羽~那須小川間は1939(昭和14)年6月に廃止された。

 1960年代に入るとモータリゼーションが進行。1968(昭和43)年12月に西那須野~黒羽間の全線が廃止されている。

 廃線跡の西那須野~大田原間は自転車・歩行者専用道路「ぽっぽ通り」となった。黒羽駅の跡地はバス営業所に転用され、現在も車両が駐在しているが、事務所・待合室として使用されていた駅舎は解体されている。

西那須野駅付近から大田原市の中心市街地まで続く「ぽっぽ通り」。乃木神社前駅の跡地には、レールとホーム・駅名標が復元されている

投稿 【バス会社の歴史】東野交通は栃木の要! 県民になくてはならないインフラだった 自動車情報誌「ベストカー」 に最初に表示されました。