芸術の女神に愛されたブガッティ一族
ブガッティは芸術と切り離して語ることはできないといわれる。創業者のエットーレ・ブガッティの父、カルロ・ブガッティはイタリアでアールヌーヴォー様式の家具や宝飾品を手掛けた作家であり、弟のレンブラント・ブガッティもまた、動物の彫刻で名を馳せた芸術家であった。
そのような環境で磨かれたエットーレ・ブガッティの美的感性は、息子のジャン・ブガッティにも受け継がれた。ジャン・ブガッティはいくつものエレガントな自動車を生み出したが、その最高傑作とされるのがタイプ57 SC アトランティークである。
たった4台だけ作られたアトランティーク クーペ
タイプ57シリーズの中でも、わずか4台しか製作されなかったSC アトランティーク クーペは、ブガッティ史上で最も美しく、かつ最も稀少なモデルと言われる。大胆な抑揚をもつ流麗なクーペボディはアルミニウム製で、外部からリベット留めされた独特の継ぎ目がデザイン上の特徴となっていた。フロントには最高200psを発生する3.3リッター直列8気筒ガソリンユニットを積み、最高速度も200km/hを超えたいたといわれる。その“自動車界の芸術”が、この度スペイン ビルバオのグッゲンハイム美術館へ展示されることになった。
オリジナルの状態を保ったまま、現在まで残っているタイプ57 SC アトランティークはたった2台。今回、スペインのビルバオにあるグッゲンハイム美術館に貸与されたのは、米カリフォルニアのマリン自動車博物館が所蔵する“虎の子”である。1936年に作られた1台目のタイプ57 SC アトランティークで、最初のオーナーは英国の銀行家ビクター・ロスチャイルド。ブルーグレイにペイントされたシャシーナンバー「57 374」は、現在は「ロスチャイルド・アトランティーク(Rothschild Atlantic)」として知られている。
自動車業界最大の謎とされる「黒いクルマ」
3番目に作られたシャシーナンバー「57 473」は、1936年10月にフランス人のジャック・ホルツシュに納車されたため、「ホルツシュ・アトランティーク(Holzschuh Atlantic)」と呼ばれる。1955年、この個体を悲劇が襲う。2番目のオーナーによる踏切事故で完全に大破してしまったのだ。その後レストアされたものの、オリジナルエンジンを修復することは叶わなかった。
また、2台目の「57 453」は自動車業界における最大の謎となっている。エットーレ・ブガッティの子息、ジャン・ブガッティ自身がオーナーであり、彼がこのクルマを常々「ラ ヴォワチュール ノワール」、すなわち“黒いクルマ”と呼んだというのはよく知られたエピソードだ。様々な雑誌の表紙に登場したり、モーターショーにも展示されたその車両は一度もオーナー登録が行われず、ごくごく近しい友人、しかもレーシングドライバーのみがそのドライバーズシートに座ることを許されたという。
しかしこの車両は第二次大戦前に跡形も無く姿を消しており、以降、その消息はようとして知れない。ジャン・ブガッティがレーシングドライバーの友人に譲ったのか、ナチ占領下のフランスでアルザスから移送されたのか・・・。1938年以降、その痕跡はぱたりと途絶えてしまった。ナチスが接収してしまったという説が有力だが、ひとつだけ明らかなのは、現在までこの黒いアトランティークが見つかっていないということ。専門家は、もし発見された場合、その価格は1億ユーロ(約136億8700万円)を超えると推測している。
タイプ57はブガッティの最多量産車種
ジャン・ブガッティは、1930年代に新たなラグジュアリーモデルとして、また究極のグランツーリズモとして「タイプ57」を送り出した。様々なエンジンバリエーションだけでなく、ボディタイプにも4ドアサルーンの「ギャリビエ(Galibier)」、コンバーチブルの「ステルヴィオ(Stelvio)」、2ドアサルーンの「ヴァントー(Ventoux)」、2ドアクーペの「アトランティーク(Atalantic)」などが用意されていた。
「タイプ57」は1940年代半ばまで生産され、仕様の異なる約800台がファクトリーから出荷された。正確な数字は不明だが、現在でもこれがブガッティの最多量産車種といえる。
グッゲンハイム美術館では、2022年4月8日から9月18日まで自動車にスポットライトを当てた「MOTION. Autos, Art, Architecture」展を開催している。同特別展には「ブガッティ タイプ57 SC アトランティーク」をはじめ、世界初のガソリン自動車「ベンツ パテント モトールヴァーゲン」、「フェラーリ GTO」、「ジャガー Eタイプ」、「ランチア ストラトス ゼロ」などおよそ40台の車両が展示されている。