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<p>カープ森下は生粋の“野球好き” 本音を激白「野手は毎試合出られていいな」/デイリースポーツ online</p><p>カープ森下は生粋の“野球好き” 本音を激白「野手は毎試合出られていいな」/広島カープ/野球/デイリースポーツ online #カープ #広島 #carp #DailySports</p><p>広島の森下暢仁投手(24)がデイリースポーツ読者に本音をさらけ出す一人語り『直向(ひたむ)きに』がスタート。第1回のテーマは「野球とは」。夢中で白球を追った幼少時代からプロ野球を意識するようになった大分商、投手としてプロ入りを目指した明大時代を振り返りながら野球への思いを明かした。 ◇ ◇</p><p>広島の森下暢仁投手(24)がデイリースポーツ読者に本音をさらけ出す一人語り『直向(ひたむ)きに』がスタート。第1回のテーマは「野球とは」。夢中で白球を追った幼少時代からプロ野球を意識するようになった大分商、投手としてプロ入りを目指した明大時代を振り返りながら野球への思いを明かした。 ◇ ◇ 野球との出会いは小学校に入ったころ、父とキャッチボールしたのが最初だったと思います。父がソフトボールをやっていたので見に行ったり、一緒に入ったりしたのを覚えています。当時、社宅に住んでいたのですが、近所のお兄ちゃんたちと公園でキャッチボールをしたりしていたので、3年生のときにチームに入りました。 実は小2のときは姉の影響でバドミントンのクラブに1年間、所属したことも。いとこがサッカーをやっていたのでサッカーボールを蹴ることも多かったです。僕の出身地、大分はJリーグの大分トリニータが強かったのでサッカーの方がよく見ました。けど、周りに野球をやる人が多かったのでその流れで、始めました。グラブも先輩たちについていって、お下がりをもらってプレーしていました。それからグラブを買ってもらったときは、新品だ!とうれしかったことを覚えてます。 僕が入った明治少年野球クラブは3年生からチームに入れるのですが、1軍、2軍、3軍とあって、学年ごとに20人以上はいたと思います。練習は月、水、金、土、日の週5。最初は3軍でしたが、割と早く先輩たちと一緒にプレーしてました。ポジションはショート、サード。5年生から投手を始めました。野手と投手どっちが楽しかったのかな(笑)。こだわりはなかったですね。試合に出られたらよかった。基本、楽しかったです。そのころはプロ野球選手になりたいとは考えもしなかった。その日、その日が楽しかったらいいやという感じでした。 プロを意識したのは大分商2年のとき。1学年上の笠谷さんがソフトバンクから指名されて、自分も行きたいなと思ったのがきっかけ。ガツガツしたところはなかった。甲子園も1年のときに行けたんですけど、行ってなかったら甲子園ってどうなんだろうっていう感覚だったと思う。県予選もきょう試合あるなあというくらいで、甲子園にどうしても行きたいとは考えてなかった。大分商のころは授業が終わったら16時過ぎ、練習が始まってもすぐ暗くなった。長い時間の練習はできなかった。ちゃんと野球ができる環境だと思ったのは明大に入ってから。 大学に入ると投手と野手が分かれることにビックリしました。投げるのも打つのも一緒にやるものだと思っていたので。打撃練習は好きでしたけど、大学入って飛ばす人の飛距離を見たらプロに入るなら投手しか通用しないだろうなと思うようになりました。 念願かなってプロに入れたのですが、投手と野手どっちが好きかと問われると、野手ですかね(笑)。野手の方が楽しそう、毎試合出られていいなと。投手は中継ぎでも1イニングしか投げられない。試合に出るなら1イニングでも長く出たい。野手は毎試合出るから負担はあるとは思うけど、やっぱり毎試合出られるなら野手の方がかっこいいなと思います。 いま、野球楽しいですか?と聞かれると、何も考えずに投げるのも打つのも楽しくやれていたのは高校までと答えてしまいます。プロは結果が求められる分、正直に言えばしんどい方が強い。でも、“野球が好き”は変わりません。(広島東洋カープ投手)</p>