<p>核共有を問う 「第二のウクライナに…」と持ち出す議論の卑劣さ | 毎日新聞</p><p>核共有を問う 「第二のウクライナに…」と持ち出す議論の卑劣さ</p><p>ロシアによるウクライナ侵攻が始まるやいなや、安倍晋三元首相が米国の核兵器を日本国内に配備して共同運用する「核共有」について議論を行うべきだと発言、日本維新の会が議論を政府に提言するなど一部の政治家が声を上げ始めた。これまでは声高に語られることはなかったが、夏の参院選に向けて、さらに主張が活発化する</p><p>可能性もある。非核三原則を掲げる日本にメリットはあるのか。長崎大核兵器廃絶研究センターの中村桂子准教授に聞いた。【聞き手・森口沙織】 核共有、新しい話ではない 今回初めて核共有という言葉を聞いた人もいるかもしれないが新しい話ではなく「冷戦の遺物」といっていい。NATO(北大西洋条約機構)加盟国のオランダ、ベルギー、ドイツ、トルコ、イタリアの5カ国に核兵器が配備され、平時はアメリカが管理し、戦争になるとアメリカの同意を得て配備国が自分たちの戦闘機に核弾頭を載せて一緒に使うという政策のこと。 ――有事の際には配備されている各国が核兵器を使用する実務を担うということか。 そういうことだ。その国の兵士たちが戦闘機でパイロットとして運び使用するし、普段からミサイル発射などの訓練を受けることになる。 ――「冷戦の遺物」とは。核共有はどんな経緯でできたのか。 冷戦時代、ヨーロッパの国々には自国が戦場になる緊張感があった。ソ連は核ではない通常戦力で圧倒的に優位で、西側諸国は核戦力でそれに対抗し軍事力を増強していった経緯がある。一方現在、核は縮小に向かっている。ドイツでは「核共有など時代遅れで、国内の核を撤去しよう」と市民運動も起こっている。NATOは全体で物事を決めていくので1カ国だけが「核は不要」としても実際に(核共有を撤廃するよう)決めるのが難しい現状もあるが、5カ国で温度差はあれど「なかなか撤去できないが実際には時代錯誤で不要だ」という見方が強い。 ――核兵器なしで平和的に解決しようという声が世界で高まっているということか。 NATOの核共有はNPT(核拡散防止条約、1970年発効)より前からあり、明確に禁止されているわけではないがグレーゾーンだといわれている。解釈によっては、核を持っている国が持たない国に対して核兵器そのものや技術や情報を移転してはいけないというNPTの精神に反する。NATOの核配備は国際法に照らして問題があるという議論が常にある。 間違ったメッセージの拡散 ――2月27日に安倍元首相がテレビで「この世界はどう安全が守られているのかという現実の議論をタブー視してはならない」と発言し、核共有導入の是非を議論すべきだとの考えを示した。この発言をどう見るか。 一部の政治家の間では核共有は必要だという声はずっとあったが、(ウクライナ侵攻を受けて)周りの受け止め方が変わった。 ウクライナ侵攻が始まってすぐ、「核を放棄したからロシアに攻め込まれたのだ」「核を持っていればこんなことにならなかった」と主にSNS(ネット交流サービス)上でそうした論調が広まり衝撃を受けた。これは事実として間違っていて… この記事は有料記事です。</p>