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ちょうどその頃、白村江の戦いで同盟していた唐と新羅が対立するようになり、両国とも互いを牽制(けんせい)するために日本との友好を求めてきた。そこで朝廷は遣唐使の派遣を再開して日唐国交回復をめざしたり、唐に習った制度の改革を断行したのである。「この目標をはたすために大宝二年(七〇二)…