日刊スポーツ
https://news.yahoo.co.jp/articles/d9b7f513964fa90ea759825dfad2f12963da9a9e
元日本代表監督のイビチャ・オシム氏が亡くなった。1日、オシム氏がかつて監督を務めたオーストリアのクラブ、シュトルム・グラーツも公式サイトで発表した。80歳だった。
クラブのジャゥク会長は、「イビチャ・オシムは素晴らしいコーチであるだけでなく、私が人生で出会った最高の人物の1人でもあった。私たちのクラブの最大のアイコン(象徴)であり、一緒に過ごした多くの時間を決して忘れません。彼はサッカーそのもの、それをはるかに超えた影響力を持っていた。彼の言葉は、永遠に私たちの中で生き続けます。奥様、2人の息子さん、そして家族全員に心からお悔やみ申し上げます」との声明を出した。
旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ生まれ。1986年にユーゴ代表監督に就任。1990年W杯イタリア大会で8強入り後、シュトルム・グラーツ監督などを歴任し、2003年に市原(現ジェフユナイテッド千葉)の監督に就任。05年にナビスコ杯優勝を成し遂げた。
その確かな手腕を買われ、06年7月に日本代表監督に就任した。その直前、ワールドカップ(W杯)ドイツ大会で日本が1次リーグ敗退した後、W杯総括会見で日本サッカー協会の川淵三郎会長が「(五輪代表)監督はあくまで反町。スーパーバイザー的な立場、総監督として『オシム』が、あっ、オシムと言っちゃったね…」と発言。極秘情報を内定前に自ら口にした“事件”もあった。
そんな経緯もあったが、就任しアジア杯などを指揮。中村俊輔らに、オシムチルドレンと呼ばれた、自らのやり方を熟知する選手をうまくミックスさせながらチームを強化していた。
複数ポジションをこなす「ポリバレント」という言葉も広まった。意味は多様性で、必要に応じて複数のポジションをこなせる能力をいい、試合中には自ら考え、状況に応じた幅広いプレーを選手に求めた。
そんな中、07年11月に脳梗塞で倒れ退任を余儀なくされた。
哲学的な言い回しで印象的な言葉と、多色ビブスを与え、選手に考えさせるその独特の指導で、多くの日本人や世界の選手に影響を与えたサッカー界の知性、日本代表の功労者だった。以下ソース参照
1の立った時間 2022/05/01(日) 22:49:06.74
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1651412946/
引用元: ・【訃報】元日本代表監督イビチャ・オシム氏死去 80歳 90年W杯ユーゴ8強、05年市原でナビスコ制覇 ★2 [Glide Across The Line★]
ポポポポ~ン
こだまでしょうか
セットで流れてたような
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