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 人口2億7000万人の国・インドネシアでは長年、小型トラック(車両総重量5.1~8.25トンクラス)の「コルトディーゼル」というクルマが、同クラスで5割前後の高いシェアを占めてきました。

 ところが2022年3月24日、このスーパーメジャーブランドが「キャンター」へ代わることが発表されたのです。いったい何があったのでしょうか?

文/緒方五郎、写真/緒方五郎・三菱ふそうトラック・バス


辞書に載るトラック!?

 「コルト」という車名の通りコルトディーゼルは三菱のクルマであり、キャンターから逆算すれば、コルトディーゼル=キャンターだとわかる。そして車名が変わったところで、外観がほとんど変わっていないのも事実だ。しかしその名前が変わることは、インドネシアのトラック市場にとって大事件なのだ。

 三菱自動車工業(当時は三菱重工自動車事業部)が三菱商事とともにインドネシアでの商用車現地生産に進出したのは、いまから52年前の1970年のこと。

 翌71年からノックダウン(KD)組立が開始され、その最初の生産車が「コルトトラック」と「ジープ」だった。特にコルトトラックは早くもヒットし、その翌年にはKD組立を行なう委託先の工場が増やされたくらいだ。

 コルトトラックというと、日本ではかつて存在した乗用車派生ピックアップモデルの車名だが、インドネシアで初めて組み立てられたコルトトラックは、600kg積キャブオーバートラック「デリカトラック」(T100型)のことである。

 そのコルトトラックの上位モデルが「コルトディーゼル」だ。75年からT200型キャンター(TBキャンター)の導入を開始、79年からはTBの改良モデルであるFE100型キャンターのKD組立がスタートした。

 コルトディーゼルは88年にはコルトトラックの生産台数さえ上回るなど、小型トラックの定番の地位を築いてゆく。

 残念ながら実物をみたことはないのだが、現地語の辞書には、商品名でありながら「コルト」の項目があるそうで、インドネシアの人口に膾炙するスーパーメジャーブランドへ登りつめたわけだ。

少しずつ変わってきたコルトディーゼル

 その強力なブランド名を手放すことになった理由は公表されていないが、4月5日、三菱自動車がニュースリリースで欧州市場で三菱コルトを復活させると発表したことと関係があるのではないかと推測される。

 ちなみに三菱ふそうは2003年に三菱自工から分離独立し、ダイムラー(現・ダイムラートラック)のグループ企業になっている。

 逆にいえば分離したにも関わらず、丸20年もの間、三菱自工の商標である「コルト」ブランドを共有してきた(現地オペレーションで大きな役割を果たしている商社の意向もあるだろう)わけで、現地でのブランドパワーが絶大だったことを物語っている。

 そのことがうかがえるのが、2007年にTEキャンターに一新された現行コルトディーゼルの微妙な外観の変化だ。

 日本のキャンターは当時、フロントグリルに「CANTER」ロゴを装着していたが、コルトディーゼルではフロントグリルに「MITSUBISHI」ロゴ、フロントパネルに「COLT DIESEL」エンブレムが装着されていた。

 それが現行型では、フロントグリルが「MITSUBISHI FUSO」、フロントパネルのエンブレムは「COLT DIESEL」となった。さらに、当初からか途中からかは未確認だが、サイドドアには「CANTER」ステッカーも貼られたのである。つまり一つのクルマに二つの車名を並べていたのだ。

 実は、2014年のジャカルタ国際モーターショーを訪れた時、なぜCANTERのステッカーも貼っているのか聞いてみたのだが、明確な回答はなかった。

 現地客に聞かれたらどう答えるのか不思議だったが、シレッと貼っておいて「なんだろコレ?」と継続的に思わせることが目的だったのだろう。もしかしたら日本で同じクルマがキャンターと呼ばれていることも、陰に陽にアピールしていたのかもしれない。

 2018年モデルからは、フロントグリルから「MITSUBISHI FUSO」が消えた代わりに、フロントパネルの中央に「FUSO」のバラ文字エンブレムが装着された。「COLT DIESEL」エンブレムと「CANTER」ステッカーはそのままだが、FUSOブランドを前面に押した顔になった。

 FUSOブランド顔は、14年発表の「ニューFUSOシリーズ」で初めて導入され、同じ18年発表の新中大型トラック「ファイター」も踏襲しており、現地ふそうファミリー全体でのブランド戦略の一環であるのは明らかだ。

 そして2022年3月、車名が正式に「キャンター」となったEuro-IV排ガス規制適合モデルでは、サイドドアの「CANTER」ステッカーは消え、フロントパネルに「FUSO」バラ文字エンブレムと「CANTER」エンブレムを装着する姿になった。

 一つずつエンブレムを差し替えていくことで、コルトディーゼルはFUSO CANTERへ生まれ変わったわけである。

遅ればせのEuro-IV

 ところで、インドネシアでは2017年にEuro-IV排ガス規制の導入を決定し、21年からトラック・バスに適用する計画だったが、コロナ禍の影響などもあって1年延期の22年となった。

 それまでのEuro-II規制から実に15年ぶりの新しい排ガス規制だが、これは同国で流通する軽油の品質とも関係している。日本では軽油の硫黄分が「10ppm以下」とされているが、インドネシアでは21年からようやく「500ppm以下」が全国統一規格となった。これによりEuro-IVが施行可能になったのだ。

 Euro-IV適合のコルトディーゼル改めキャンターでは、ディーゼルエンジンが4D34型から4V21型へ変更された。排気量はどちらも3.9Lだが、4V21型には電子制御コモンレール燃料噴射システムとEGR(排気再循環システム)の採用で燃焼が改善された。

 さらに軽油の硫黄分低減で導入可能となった酸化触媒により、排気中の黒煙も低減されるなど、大幅なクリーン化を実現させた。

 それ以外はコルトディーゼルとあまり変わらないのだが、商用車の世界的なトレンドであるコネクティッドが新たに導入され、「ランナーテレマティクス」と呼ばれるフリートマネジメントシステム(FMS)に対応している。

 クルマそのものの話にならないので面白みがいま一つのコネクティッドだが、人口と資源が多く、経済のポテンシャルの大きいインドネシアで、これがどのように活用されていくかは注目されるだろう。

コルトトラックはどうなった?

 ちなみに「コルト」ブランドの同国での始祖であるコルトトラックはどうなったか?

 まず、初代のT100型からその改良型T120型を経て、現行型はなんと81年デビューの1t積トラック「コルトL300」が40年にわたって現役選手である。

 しかもこのクラスで依然大きなシェアを有しており、さきごろキャンターと同じくEuro-IV適合モデルが登場した(L300は2.5Lディーゼル車のみ)。

 生産は17年までコルトディーゼルと同じ工場(KRM)で行なわれていたが、18年に三菱自工と三菱商事の合弁工場(MMKI)へ移管されており、取扱いも三菱小型車ディーラーのみとなった。

 現在、三菱ではコルトL300を単に「L300」と呼んでいるようで、こちらもいずれコルトブランドから脱却するのかもしれない。ただしキャブ外装にはいまもCOLTのエンブレムがある。

 実は、三菱小型車ディーラーでは1997年から2019年まで、L300より小さい(というか初代コルトトラックに近いサイズの)800~900kg積トラック「コルトT120SS」もラインアップしていた。

 T120SSは、スズキと共同開発したインドネシア市場専用キャリイ(三菱製1.3Lまたは1.5Lガソリンエンジンを搭載)の三菱向けモデルで、スズキの現地工場で生産されたが、キャリイの全面改良に伴ってモデル廃止となっている。

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