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ロシアがウクライナに侵攻を開始してはやくも2か月が経過した。ブチャやマリウポリのようなウクライナの都市でロシア軍の行った虐殺行為や、それを許しているプーチンに対する国際的な非難が高まっている。

その中で、一見すると「ロシアにも理がある」と論じているために、斬新な意見だとして絶賛されている動画がある。アメリカの名門シカゴ大学の教授で、国際的にも広く知られているジョン・ミアシャイマー氏の議論を紹介したものだ。

これは実にロシアにとって都合の良い議論でもあるため、言論の一部が切り貼りされる形でロシア大使館にさえプロパガンダ利用されてしまっているのだ。

「ロシアは悪くない!」論に利用

さらに問題なのは、逆張りを好む日本のネット上の陰謀論者たちの間で「ロシアは悪くない、戦争をけしかけたのはアメリカのディープステート(DS)だ」とする陰謀論に活用されている点だ。ミアシャイマーは(ややスキがあるにせよ)ロシア政府や陰謀論者たちに悪用されてしまっている実態がある。

実になげかわしい現象だ。というのも、ミアシャイマー自身は世界的に広く認められた国際政治の理論家であり、薄っぺらい決めつけの議論を展開するような「陰謀論者」とはまったく異なる、学者としての議論を正々堂々と展開しているからだ。

このミアシャイマーについてはすでに東京外国語大学で国際政治の専門家である篠田教授が詳細かつ包括的に論じているので、さらに詳しく知りたい方は参照にしていただきたいが、本稿ではさらにわかりやすく篠田論文を補完した説明を行いたい。

「米中競争」を予測

まずミアシャイマーは、国際政治を動かすメカニズムを一貫して研究してきた学者である。デビュー作は冷戦期に欧州正面で問題になっている「アメリカによるソ連の軍事侵攻を通常兵器でどのように抑止するのか」を論じたものだ。次にイギリスの軍事戦略家であるリデルハートを厳しく批判した本をまとめているが、それ以降は一貫して、国際政治を動かすメカニズムを説明する理論家として研究を行っている。

その成果をまとめたものが、2001年の連続テロ事件の前後に出版された拙訳『大国政治の悲劇』(五月書房新社)であり、この中ですでに自身は「次の大国間競争」はアメリカと中国との間で行われることを予測していた。

以来20年にわたって、ミアシャイマーはほとんど主張を変えていない。

大国間で生じる「攻撃的現実主義」とは

彼の国際政治の理論の肝となる見方はこうである。

まず国際政治が展開されている舞台には、基本的に国家よりも上の存在がいない。これをミアシャイマーは「アナーキー」という状態だと説明する。そして国家、とりわけ「大国」(great powers)が、このアナーキー(な国際システムという言葉を使う)の大枠を決めるというのだ。

では現在はどうなのか。ミアシャイマーによれば、世界の政治を動かす「大国」は、たった3カ国しかいない。アメリカ、中国、そしてロシアだ。

この「たった3カ国」は、互いにある程度の兵器を備えているし、互いの本当の意図はわからない、そして各自それぞれ必死に生き残ろうとする、などの「構造的な理由」から、相手に対して互いに恐怖を感じ、それに対して合理的に対処するために攻撃的に振るまうという。

ここで注意が必要だ。「合理的に動く」としたが、ミアシャイマーはその合理性が、大国が互いに感じる「恐怖」によって発生するものであると考えるのだ。

大国は互いに恐れて合理的にパワーを拡大しようとするために生存競争が絶えない……

これが、ミアシャイマーの提唱する「攻撃的現実主義」(offensive realism)の核心である。

問題が米露関係に集約

写真:AFP/アフロ

だがここで大きな問題が発生する。たしかにこれはあくまでも「大枠を見る」という点ではミアシャイマーの大雑把な理論は有効かもしれない。だが、大国しか見ないとなると、たとえばウクライナのような小国(といってもロシアに次ぐ欧州第二の国土を持つが)や、イギリスやフランスのような欧州の有力国らが国際政治において果たす役割でさえ、無視されることになってしまう。

たとえば今回の場合、問題の中心が、アメリカ(が率いるNATO)とロシアという2つの国だけの関係の話に集約されてしまうからだ。

アメリカとロシアとの関係だけが問題だとなると、たとえばロシアだけでなく、その領土の近くに入ってきた(NATOを東方拡大させてきた)アメリカにも問題があるということになり(事実としてミアシャイマーは米国に責任があるとしている)、それがゆえに陰謀論の論者たちに議論が使われやすくなってしまうのだ。

「ドライな見方」の功罪

また、実際に国際政治における重要な要素である国際法のような要素さえ、彼の理論においては無視されるというか、そもそも彼の考慮の対象にないことになる。なぜなら、「国際法には大国の行動を縛るほどの大きな力はない」と見なすからだ。

そうなると、今回のロシアの国際法に反するような行為の数々は、必然的に見逃されることになる。もっと言えば、ロシアが国際法や人道の罪に犯しているかどうかは、極端にいえば彼の関心にはないからだ。

実にドライな見方ではあるが、あくまでも国際政治のメカニズムの話だけを考えているとすれば、彼の主張を理解することはできる。ただしそのようなドライな部分があるからこそ、彼の議論は多くの批判を集めやすいことも否定しようのない事実である。

ミアシャイマーは「保守派」なのか

ミアシャイマー氏(公式サイトより)

このような厳しい見方をする理論を提唱しているミアシャイマーを、日本の右派や陰謀論者たちは「真正保守である」という。だが結論から言えば、ミアシャイマーの考え方は、一般的な「右派」や「左派」という政治志向の分類を超越したものだ。

なぜなら彼の関心は、アメリカが国際政治のパワーゲームにおいてうまく立ち回ることができるかどうかにあるのであり、国内政治がからむ右・左というイデオロギーには単純に分類できないからである。

たとえばリアリズムの提唱者たちは、発展途上国、イラクやアフガニスタンやシリアのような場所などでの戦争介入に反対する傾向がある。なぜなら発展途上国というのは、戦略的にそれほど重要ではないからだ。するとこれは左翼的な視点と親和性が高い。

ところがその一方で、リアリストは「大国政治こそが重要だ」と考えるために、中国のような台頭しつつある新興国は封じ込めなければならないと考える。このような議論は、左派の人々は毛嫌いするものだが、右派はこのような議論に好感を抱く。

したがって、見かけ上、リアリズムというのは左派に好かれることもあれば、右派に好かれることもある。ところがこれはそもそも国際政治の理論であるので、右派にも左派にも分類できないのだ。自分たちの意見に合わせて都合よく「ミアシャイマーは真正保守である」とする日本の右派や陰謀論者たちの議論は的外れというほかない。

国際政治学の大家が犯した「戦略ミス」

もちろん自身も認めているように、ミアシャイマー自身は「今回の紛争を起こした直接的な原因はプーチン大統領だ」と述べて、ロシアの戦争行為の残虐性は指摘している。だが、「時すでに遅し」である。

結果として、ミアシャイマーはアメリカ率いるNATOの過剰な東方拡大に今回の紛争の根本的な原因を見てしまっていることから、単純な反米主義者や陰謀論者のような、表層的なわかりやすさを求める人々に対して、無用な論拠を与えてしまっているといえる。

これはミアシャイマー自身にとっても戦略的なミスではあると思う。しかし彼の驚くような主張の背後には強固なロジックがあることが理解できた人だけでも、彼の主著の『大国政治の悲劇』などを読むことによって国際政治の理論の面白さに目覚めていただければと考えている。