医局で型通りに医師としての経験を積んでいく時代から、急速に多様化しつつある若手医師のキャリア。前編は、北朝鮮やガーナの田舎に飛び込み、国際協力活動をライフワークにしている医師を紹介したが、後編は、医学部で医師を目指しつつ、アマチュアの狂言師としても活動している医学生のエピソードを紹介したい。
なお、この医学生も、筆者も4月に登壇した医師のキャリアに関するイベント(一般社団法人病院マーケティングサミットJAPAN主催)に参加していた1人だ。
狂言師でもある医学生の「キャリア観」
狂言は、祖母に連れられて行ったことがきっかけで、昔から好きでした。能楽堂に足を運ぶ中で、京都の狂言会の方々に声をかけていただいて、そこで勉強させていただきながら、アマチュアとして舞台に立たせていただいています。
そう語るのは、現在医学部6年生の千手孝太郎氏。20代前半、いわゆる「Z世代」だ。これまでも多彩な関心をもち、多彩な活動をしてきた。
小学生の頃は、学校の先生になりたいと思っていました。先生とよばれて、他の人の人生にかかわるキーパーソンになりたいと思っていたのです。小学校5年生のときに、両親と一緒に私を育ててくれていた祖母を、亡くしました。そのときに何もできなかったという無力感を覚え、その中で医師も他の人の人生に寄り添うことができると感じ、医師を志しました。疾患だけを診るのではなく患者さんの持つ背景から多角的に疾患を捉え、患者さん自身を診ることができる総合診療医を目指しています。
千手氏には、医師や狂言師の他にも夢がある。それは学校を作ることだ。
昔から、父親に、朱に交われば赤くなるから、いい環境を選びなさいと言われて育ちました。大学に入ってから、いい環境ってなんだろうと、改めて考える機会がありました。クロニンジャーのパーソナリティ理論では、性格、つまり自分を構成するものとして、人間関係、家族関係、家庭環境、学習環境があり、そういった環境によって変わっていくのだといわれています。
では、『いい環境』とは何かというと、自分が持っていないものを持っている人を認められること、つまり、多様性がある環境だと考えました。自分は、いい環境に恵まれ、のびのびとやってこれた面があるので、『いい環境を提供する』ことで、社会に貢献したいと思っています。文化や自然などに五感で触れ、それぞれの持つ人間の幅を増やし、深められる場を提供したいです。その一つとして、小学校や幼児教育施設の設立を考えており、これから飛び立つ子どもたちはもちろん、その子たちを支える大人にとっても、よりよい教育の場にしたいと思っています。
では、多彩な活動に裏打ちされる千手氏の「キャリア観」は、どんなものだろうか。
キャリアというものを、境界線でくくってしまうのはもったいないなあと感じています。境を越えていく、ということは、境界があることを前提にしているのですが、境界がそもそもない、つまり、ボーダーレスという状態が正しいのではないかなと、自分の信念に基づき、自分ができること、しなければならないと感じることに邁進することでキャリアは生まれていくため、それらに境界線を引くことはできないと思います。
筆者が感じた若手たちの「人生観」
彼らの話をきいて筆者が感じたのは、「医師としてどうあるべきか」というキャリア観よりも、「自分がどうありたいか」を表現する一つの手段として、医師というキャリアがあり、また、他の多彩な活動があるということだ。
境界を軽やかに越えてしまうように見える彼らだが、以前あったように見えた境界線も、すでに最初から存在しないのかもしれない。以前は、医療をビジネスと結びつけることは忌避されたが、そういったハードルも非常に低くなっており、ここから、様々なものが生まれていくかもしれない。
また、注目すべきは、若手医師や医学生が、恵まれた環境を自覚し、自分が得たことを社会に還元しようとする「ノブリスオブリージュ」の精神を持っていることだ(前編で紹介した米崎駿医師自身も言及している)。
こういった傾向は、国内で格差が顕在化した時代以降に多感な学生時代を送ったことと関係しているのかもしれないが、ぜひ、その高い能力が、大いに社会に還元されることを望みたい。