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 昨年発売された新型シビックがアメリカで売れに売れている。日本もほぼ同時にフルモデルチェンジしたが、売れゆきとしては先代同様細々と売れているといった感じだ。

 アメリカのベストセラーカーがなぜ日本で売れないのか?それぞれの国でのシビックにまつわる文化の違いがあるのか? クルマの売れゆきにまで影響を与える文化の違いにスポットを当てて深く検証してみたい。

文/桃田健史写真/ホンダ、ベストカーWeb編集部

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■北米では6年連続のベストセラーカーなのだが……

北米で絶好調のシビックシリーズ。日本にはないセダン仕様もラインナップ(中央と右手前の2台)し、2021年度北米カーオブザイヤーも受賞した

 シビックが相変わらず売れている。といっても、これはアメリカの話だ。

 ホンダのアメリカ法人が今年2月9日に発表したデータによると、2022年モデル(2021年夏~)シビックが6年連続で乗用車部門売上ナンバーワンになった。

 また、アメリカ市場でのコンパクトカー部門に的を絞ると12年連続で売上ナンバーワンだ。市場シェアでは、2021年コンパクトカー部門の25%がシビックで占められているほどの人気なのだ。

■アメリカのシビックはミレニアル世代ばかりかZ世代にも幅広く人気なクルマだ

 購入層についても興味深いデータがある。

 2011年以来、シビックはミレニアル世代で最もよく売れている新車だという。ミレニアル世代とは、2000年代に成人する世代で、生まれは1980年から1995年あたりまでが該当する。つまり、2022年時点で20代後半から40代前半を指す、人生のなかで最も活動的な生活を過ごす世代だ。社会のなかで購買力が大きな層である彼らに、シビックが受け入れられているのだ。

 さらに年齢が低い世代でもシビック人気が顕著だ。1996年から2014年生まれのジェネレーションZが最初に買う新車として、シビックを選ぶ人が多いという。

 このような幅広い世代での人気が、シビックに2022年北米カーオブザイヤーの栄冠をもたらしたといえるだろう。

■昨年、日本仕様もフルモデルチェンジ。走りもスタイルも高評価だが……

4月14日よりホンダのホームページにて先行公開されたシビックe:HEV仕様。コンベ仕様の情熱的なレッドからクリーンなブルーへ推しのボディカラーが変わったようだ。走りにも期待だ!!

 一方、日本市場でのシビックは今、どうなのか?

 日本でもシビックはスポーティな走りが若い世代からの支持も増えている状況で、東京オートサロン2022でコンセプトモデルが初公開された新型タイプRに対する期待値も上がっている。

 だが、販売台数で見ると日本でのシビックは「少数派」に過ぎない。

 一般社団法人 日本自動車販売協会連合会によると、直近2022年1月の乗用車ブランド通称名称での月販販売台数では、シビックは879台で46位にとどまる。同月の1位となったヤリスに比べてたった4%という少なさである。

 2021年1~12月では、シビックは8520台で48位、1位のヤリスは21万2927台とふた桁違いの大差がついているのが実状だ。

■アメリカのホンダブランドイメージとの違い

 では、なぜシビックの販売が日米で大きな差がついてしまったのか? そこにはさまざまな要因が見え隠れする……。

 最も大きな要因は、ユーザーのホンダブランドに対する受けとめ方だと思う。

 筆者(桃田健史)は1980年代中盤からアメリカでの活動や生活を始めたが、その当時でもすでに、アメリカ人のホンダに対するブランド意識が日本人と違うという印象を持っていた。

 ホンダがアメリカで本格的な四輪事業を始めたのは、1973年の初代シビックからだ。それまでは、二輪車メーカーとしてロサンゼルス郊外の小規模な拠点で北米全体に向けた事業をこつこつと積み上げてきた。

 それが、1970年代に入ってから、通称「マスキー法」という排気ガス規制により、シビック導入の大きな転機を迎える。  1960年代までのアメ車といえば、ボディサイズもエンジンサイズも「大きいことはいいことだ」という風潮で、クルマが庶民のステイタスシンボルとなっていた。

■オイルショックのなか、「市民」の名を持つ小型車の出現はアメリカ人に大きなインパクトを与えた

 そこに、排気ガス規制、さらにはオイルショックによるガソリン価格の急騰やガソリン供給不足が追い打ちをかけ、アメ車は一気に窮地に追い込まれる。

 そうしたなか、小型で高性能な日本車にアメリカでスポットがあたる。スポーツカーでは初代240Z(S30フェアレディZ)が、アメリカンマッスルカー慣れしていた多くのアメリカ人の心をつかんだ。

 一方、大衆車としては、「市民」というネーミングどおり、シビックがアメリカ人に対して大きなインパクトを与えた。親しみやすいデザイン、環境への配慮、低燃費などを併せ持つ「ホンダマジック(魔法)」まで言えるほどの、まさにエポックメイキングだった。

 そうした初代シビックの商品イメージがそのまま、ホンダのブランドイメージ、そして企業イメージへとつながっていったといえるだろう。

 その後、初代シビックオーナーが第二世代、第三世代へと乗り継ぎ、そうしたシビックが彼らの子供たちに払下げされていく。これと並行して、シビックからアップグレードを望む買い換え需要としては、ひと回り大きなアコードへとユーザーは自然と誘導されていった。

 こうして1980年代から1990年代にかけて、アメリカ市場の中核であるC/Dセグメントでは、

シビック&アコードを軸に、カローラ&カムリが対抗し、そこにトーラスなどアメリカ勢が食い込んでくるという図式が鮮明になった。

■スポコンブームがシビック人気に拍車をかけた?

アメリカ市場でのシビックの歴史のなかで、もうひとつ、忘れてはならない出来事があった。

 1990年代末から2000年代頭にかけての短期間に集中的に起こった、日系チューニングカーブームだ。日本では、スポコン(スポーツコンパクト)ブームとも呼ばれた社会現象だった。

 そもそもは、韓国系マフィアが親から払い下げされたシビックやインテグラなどを持つ若者を対象に、違法な公道ドラッグレースや、未成年者も飲酒などを行うショーと呼ばれるアンダーグラウンド系のイベントを開催し、その刺激的な内容に魅了された。

 こうしたドキュメンタリー要素をフィクション化したのが、映画『ザ・ファスト・アンド・ザ・フューリアス』(邦題:ワイルドスピード)だった。

 そんなコアなマーケットが起爆剤となり、当時すでに日本では衰退基調にあったチューニング関連ビジネスがアメリカに続々と上陸していく。

 ドラッグレースやショーは徐々に健全化されていったが、当時のホンダはこの分野に対して「一定の距離」を保ちながら接していた印象がある。

■アメリカでは独自の歴史観を培ってきたシビック、日本にも独自のシビック文化が育って欲しい!!

日本におけるシビックのカリスマ的存在なのがタイプRだろう。6代目となる新型は恐らく最後の純ガソリンエンジン車として登場することになるだろう。発売が待ち遠しい!!

 このブームも2000年代半ばにはすっかり消えてしまうのだが、この時の刺激的なホンダというイメージが、ミレニアル世代の記憶に残っており、それが先のインテグラ復活につながったとも言える。

 このように、アメリカ人にとってのシビックには、ホンダに対する商品の安心安全や、先進的な技術に対する信頼のほかに、アメリカ文化のなかで培われたシビック独自の歴史観があるように思える。

 日本でも、1970年代から1990年代あたりまでは、シビックが日本のクルマ文化の中核的存在だったが、グローバルカーとして進化するなかでさまざまな意味で大衆車の領域から外れていってしまったのかもしれない。

 販売台数で今後、日本のシビックがアメリカのように年間数十万台規模になることはないだろう。日本には日本なりのシビック文化が継承されることを望みたい。 

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