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 京浜急行電鉄には、乗車当時で100台前後の観光バスを保有しており、帰省バスなどの夜行実績の高さから、全国各地へ数多くの夜行路線が運行され大盛況な運行ぶりだった。

●パイレーツ号(京浜急行電鉄〈瀬戸内運輸〉)
 今治桟橋・西条・新居浜〜浜松町・品川
 乗車・撮影日:1989年10月

(記事の内容は、2020年9月現在のものです)
執筆・写真/石川正臣
※2020年9月発売《バスマガジンvol.103》『思い出の長距離バス』より


■県庁所在地でもない土地と都心を結ぶ大盛況の路線だった

京浜急行電鉄のパイレーツ号

 今治便パイレーツ号は、県庁所在地でもない愛媛県の都市と都心を結んでいた。人口さえ少なかったが、京急が運行しているとあれば、かなりの信頼性(?)があったのだろう。

 パイレーツ号は開業当時、13時間という最長の運行所要時間だった。東京の朝のラッシュ時間にぶつからないよう、今治発発車時刻は早く、夕刻とはいえまだ明るい頃から乗務員による車庫での始業点検が始まる。

 当時、車両は担当者制。路線も担当制なので、この長い道のりを全線にわたって把握しているようで、そのプライドを感じさせてくれていた。

 潮の香りが漂う今治桟橋に2台の品川行きが着車し、18時に発車。もう秋なのに外はまだ陽が残り、明るい。

 「本日もパイレーツ号のご乗車ありがとうございます。本日は2台運行で京浜急行が担当、ご案内をさせていただきます。乗務員は○○と××です」

 普段バスに乗ると、△△バスにご乗車ありがとうございます、と会社名を先頭に挨拶されるが、路線愛称名から始まり会社名を後にする挨拶は、京急ならではのもの。地元瀬戸内運輸と同じデザインも同じサービスを提供している証でもある。

■夜間の長距離ドライバーは高速料金所係員とも顔見知り!?

相手会社、瀬戸内運輸の車両。当時の多かった路線ごとの共通カラー

 西条、新居浜と続く停車場から次々と乗車。やがて車内は満席となった。瀬戸大橋の左車線をゆっくり走り、いよいよ本州入りだ。瀬戸中央自動車道鴻池サービスエリアでトイレ休憩後、消灯となった。

 高速道路が完全に開通していないこのころは途中で高速道路を降り、一旦一般道へ。そしてまた高速道路入りを繰り返し東京へと向かう。複雑なルートも2日おきに走るベテランならお手のものだ。

 当時はもちろんETCレーンなどはなく、ゲートで収受員さんと挨拶。「今日も2台?」とくぐるゲートの係員は、夜間の長距離ドライバーはトラックも含めて顔見知りばかりといった様子だ。

 朝の始まりはまだ明けやらぬ富士川サービスエリア。東京行きの夜行便がひしめいている。他社はまだ開放していないが、京急はもうここで早朝の開放休憩となる。隣には鳥取発のキャメル号。

 同じ営業所の同僚と挨拶を交わし、「さあもう発車しないと朝のラッシュに引っかかるな」とばかりに発車。東名から首都高に入った用賀近辺で前方のカーテンが開けられ完全に起床時刻となった。

 浜松町に到着すると大半は降車し、そして終点の品川バスターミナルに到着となる。今では京急の夜行便は減少したが、同じ東京の東急トランセが引き継いで運行している。運行会社が代わっても変わらない盛況ぶりの様子であることはうれしい。

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