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 「伝説の名車」と呼ばれるクルマがある。時の流れとともに、その真の姿は徐々に曖昧になり、靄(もや)がかかって実像が見えにくくなる。ゆえに伝説は、より伝説と化していく。

 そんな伝説の名車の真実と、現在のありようを明らかにしていくのが、この連載の目的だ。ベテラン自動車評論家の清水草一が、往時の体験を振り返りながら、その魅力を語る。

文/清水草一
写真/マツダ、フォッケウルフ

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■エンスーおじさん2人が語る「FD」の裏話

 RX-7の3代目、最終モデルである「FD」は、国産絶版スポーツを代表する1台。現在は中古車市場でとんでもない高値がつけているが、生産終了から20年を経て、相場の高騰だけに焦点が当たり、走りの実像は徐々に忘れられているようにも思える。

3代目RX-7は1991年に発売され、人気も高かったが、スポーツカー不遇の時代に突入し、モデルチェンジされることなく2003年で販売終了となった

 そこで今回は、ベストカー本誌の人気連載『エンスー解放戦線』の名コンビである清水草一氏と渡辺敏史氏に、名車3代目RX-7ことFD3Sについて、番外編として語ってもらった。なにしろ渡辺氏は現役のFDオーナー。オーナーならではのディープな話が聞けるはずだ。

   ◆      ◆      ◆

清水 ナベちゃんのFD、グレードは何だっけ?
渡辺 6型のタイプRバサーストです。
清水 ほとんど最終型だね。
渡辺 一応280馬力です。いま一番高値が付いてるのは、最後に限定で1500台で販売されたスピリットRですけど。
清水 距離が極端に少なければ2000万円! ってヤツだね。
渡辺 僕のはそこまでいきませんウフフ~。実は僕、FDは2台目なんですよ。
清水 えっ、そうだったの!?
渡辺 今のを買う1年前に、265馬力の一番シンプルなヤツ(タイプRB)を買ったんです。当時『マツダ車購入資金応援プレゼント』っていうキャンペーンをやっていて、軽い気持ちで応募したら、100万円当たっちゃって
清水 ええーーーーっ!!
渡辺 それで逃げられなくなりました。
清水 いやー、当時の状況、なんとなく思い出すなぁ。マツダは売れるクルマが全然なくて、経営がとっても苦しかったんだよね。
渡辺 フォードからマーク・フィールズが社長として派遣された頃です。
清水 フォードの支援がなけりゃ存続は不可能っていう状況だった。100万円当たる懸賞なんて、今のマツダじゃ絶対ありえない!
渡辺 ディーラーをレクサス店みたいにしちゃってる今のマツダには、考えられない泥臭い販促キャンペーンでした。そのおかげで購入できたんですけど、1年後くらいに横からトラックに突っ込まれて、全損になっちゃったんです。
清水 で、またFDを買ったんだ!
渡辺 はい。タイプRバサーストになりました。

渡辺敏史氏と筆者(清水草一)。ベストカー本誌人気連載『エンスー解放戦線』のタッグがここに!

■後期型を仕上げたマツダ開発陣の魂に涙!

清水 ところでさ、俺の記憶では、1991年にFDが登場した当時は、操縦性の怖いクルマだったと思うんだ。
渡辺 かなりピーキーでしたね。
清水 すごく軽量化にこだわって仕上げたけど、軽くしすぎたのか、なんかちょっとボディが頼りない感じがした。
渡辺 最初は255馬力で、車両重量が1250kgとかそんなもんでした、当時、パワーウェイトレシオ5kg/ps切りってのがひとつの基準で、それをギリギリクリアしたんだと思います。
清水 当時の俺はフェラーリ一神教で、ロータリーの気持ちよさもあんまり理解できなかったから、全体にストイック過ぎるクルマだと思ったんだよ。FDって、どこかフェラーリっぽい雰囲気もあるじゃない。デザインとか特に。イタリアで赤いFDで走ってたら、イタリア人たちが『ワオ、フェラーリだ!』って騒いだって話があるくらいで。
渡辺 イタリア人は、あんまりフェラーリを見たことなかったですからねぇ。
清水 それもあって、FDをプアマンズフェラーリ的に見てしまう部分もあって、あんまり刺さらなかったんだ。それが変わったのは、1999年に5型、つまり後期型が出た時なんだよ!

1999年のマイナーチェンジで最高出力は280馬力に(AT仕様は255馬力のまま)。写真は「タイプRS」

渡辺 タイプRSとタイプRの5速MTが280馬力になった時ですね。
清水 箱根ターンパイクの試乗会で乗って、手が震えたよ。なにもかも思いどおりに動いてくれた。今までのFDとは全然違う! これはまるでポルシェ944ターボだ! って。ボディも断然しっかりした印象で。280馬力へのパワーアップよりも、ボディ剛性のアップやサスペンションセッティングの見直しの効果が凄いって感じた。
渡辺 ブッシュまわりとか、徹底的にやったみたいです。
清水 当時FDって、もう全然売れなくなってて、マツダも経営危機だったし、ロータリーの消滅まで秒読みって雰囲気だったじゃない。そんななか、滅亡寸前のロータリースポーツをあそこまで仕上げたマツダ開発陣の魂に涙が出そうになった。俺としては、前期型・中期型と5型以降の後期型とは別物だよ!

■最後の限定車は長い間売れ残っていた!?

渡辺 いま相場が上がってるのも後期型ですね。
清水 いまはもう新車当時のパワースペックや足まわりのセッティングより、経年による個体差のほうがデカいんだろうし、そもそもFDを全開で走らせる人なんか、ほとんどいなくなってそうだけど。
渡辺 いないでしょうねぇ。
清水 たまに首都高でFDを見かけると、ものすごくゆっくり走ってるよ!
渡辺 ウチのFDは、たまにカバーめくって、生存確認するくらいですウフフ~
清水 多くがそんな感じだろうね、たまにエンジンかけてオイル回してバッテリー充電するくらいで。クラシック・フェラーリと同じ超過保護状態!
渡辺 植物状態とも言えますねウフフ~。ほとんどのFDが、改造されてサーキットとか峠とかでいじめられましたから、いま生き残ってるのは、いじめを免れた個体が多いと思います。でもFDって、多少なりともいじるのは大前提でした。どノーマルだとタイヤとホイールの隙間がスカスカで、まるでカッコ悪いんですよ。
清水 えっ、そうだっけ!?
渡辺 この当時はまだ、チェーンが装着できなきゃダメだったんだと思います
清水 それも鎖のチェーンね……。

2002年に発売された最後の限定車「スピリットR」では、BBS社製17インチホイール、レッド塗装ブレーキキャリパー、専用のソフト塗装インテリアパネルなどが採用された

渡辺 僕も、今のFDを買ってすぐ、車高調入れて車高落としてトレッドも10mm出しました。で、全損したRBのウイングなしトランクが残ってたんで、ハデなリアウイング付きのトランクはヤフオクで売っちゃいました。
清水 ええっ! いくらで売れたの?
渡辺 たしか3万円くらいだったと思います。
清水 3万円かぁ~。今だったらいくらするんだろうね。
渡辺 まさかこんな歴史的な名車に祭り上げられるなんて、思ってもいませんでしたからねぇ。最終のスピリットRも、限定1500台、ずいぶん長い間売れ残ってた記憶があります。
清水 タイムマシンがあれば買いに行きたい! って人がいっぱいいるだろうね!

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