京都府の地元紙、京都新聞「オーナー家」による乱脈経営の実態が浮き彫りになり、予想以上の衝撃をもたらそうとしている。京都新聞ホールディングスが21日、第三者委員会による調査結果を公表した。
これによると、昨年3月まで34年近く相談役として君臨した大株主の白石浩子氏に対し、出社していないにも関わらず、最大で6220万円の役員報酬を支払っていたのはじめ、私邸の管理費用約2億5900万円なども合わせると総額19億円もの異常な利益供与をしていた。この支出について、第三者委員会は、会社法120条1項で禁止する「株主の権利行使に関する利益供与の禁止」にあたるとの見解を示している。
白石氏は創業家ではないが、父の古京氏(1898〜1991)が戦後まもない1946年から81年まで代表取締役を務め、経営的な手腕を発揮。京都新聞の中興の祖とも言える存在で、株式の約30%を保有。その後、跡を継いだ長男が1年ほどで急逝し、浩子氏が大株主として君臨。高額報酬について過去にも問題になりかけたが、その相当性について触れることはタブー視されるようになったようだ。
この日の記者会見で京都新聞側は法的措置を検討するとしており、民事事件に発展することは必至だが、日頃、他社の経営問題を声高に論じることがない同業他社も記者会見から一夜明けての朝刊は、事案の構図を解説したチャートを示すなど一端の「経済事件」と同じだけの報道になっている。これほど会社を私物化した乱脈経営の実態が明らかになった以上、捜査当局が看過するようには思えないが、他の新聞社は事件化の可能性も視野に入れていると見ていいだろう。
やりたい放題、根幹にあるアノ法律
しかし、仮に背任事件などとして「大ごと」に発展したとしても、この問題を取材する記者が筆を決して滑らせられない「タブー」がある。といっても今やそう思っているのは新聞社と系列の放送局くらいで、週刊誌やネットメディアでは何年も前から報じられているが、今回のように「オーナー家」がやりたい放題できるのも究極的にはガバナンスの問題に尽きる。
もちろん、会社の私物化は他業種の非上場企業ではしばしば見受けられることだが、非上場で株式の流動性が乏しいだけではない。新聞社の場合は、通称・日刊新聞法、正式名称はその名もズバリ「日刊新聞紙の発行を目的とする株式会社の株式の譲渡の制限等に関する法律」という法律があり、事業関係者以外への株式の譲渡が厳しく制限されている。
1951年に作られた法律で、言論の自由確保を名目に特別に認められた規制だが、公共性の強い報道という事業の使命を忘れてしまうと、法的に保護された枠内を逆手に取るように、その裏では大株主が私物化し放題になるモラルハザードが起きてしまうわけだ。
制度的欠陥を放置してよいのか?
この法律の問題点としてかねて筆者は、法制定時の状況と異なり、株主と経営側の関係性が緊張感を欠き、事業が行き詰まったり、外部資本の手を借りての経営改革が断行しづらくなったりするデメリットを指摘してきた。
参照:毎日新聞リストラ:元凶はネットより経営陣を無能にする法規制(アゴラ 2019年8月15日)
しかし、今回の京都新聞のケースは大株主としてここまで悪質な私物化が横行していたことに、現在の新聞社経営の保護制度の問題点を改めて感じざるを得ない。法制定当時、報道を使命とする経営者らの性善説に依っていたことが時代の変化とともに裏目に出てしまったのではないか。
新聞社の影響力は部数減少とともに年々減少してきたとはいえ、土地によっては全国紙をも大きく凌駕する絶大な影響力を有するところもある。事件・事故、地域の政治や経済を論じる新聞の経営母体のガバナンスを欠陥を放置したままでは、部数減少に喘ぐ経営環境にあって、改革以前の問題になってしまっている。