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2月24日に始まったロシア・ウクライナ戦争であるが、約1ヶ月たった4月6日に米国防省が発表した分析によると、ロシア軍はウクライナの首都キーウからの撤退を完了したという。

これによって戦争はひとまず第一段階を迎え、イギリスからはNATOの主要国の一角であるイギリスのボリス・ジョンソン首相がゼレンスキー大統領とともにキーウの街なかを歩き回って市民と交流する場面も報道され、つかの間の明るいニュースとなったのは記憶に新しいところだ。

しかしその数日前に判明したのは、ロシア軍によって占領されていたウクライナ首都キーウの近郊の町ブチャで起こったとされる、いわゆる「ブチャの惨劇」であった。

4日のブチャ。夫の埋葬先で悲嘆に暮れる女性(写真:AP/アフロ)

ウクライナ戦争が日本に突きつける3つの課題

拙訳『戦争の未来』(中央公論新社)でも有名な戦争学の世界的権威で英キングス・カレッジの名誉教授であるローレンス・フリードマンは、自身のブログの中で、このブチャのロシア軍による大量虐殺という「戦争犯罪」が、今回の紛争の一つの転機となる可能性を指摘している。

もちろん日本では、このロシア軍の戦争犯罪の露呈がどこまで政府や国民へインパクトを持つことになるのか、まだわからない。だが、少なくとも今回の紛争はこれまで日本全体に対して、少なくとも以下の3つの大きな問題、課題を突きつけることになったと私は考えている。

それぞれ簡潔に説明してみたい。

有事に「まさか」は許されない

第一に、今回の戦争は、リアルに戦争が起こるプロセスを見せてしまい、それを専門家でも完全には見通せず、「まさか起こらないだろう」と否定的な態度が裏目に出たということ。

「軍事的に攻撃される」という点で、日本で起きた近い案件としては、2017年8月29日早朝に北朝鮮が「火星12号」と見られる中距離弾道ミサイルの発射実験を行ったことが挙げられる。

このときはミサイルが日本列島の上空を超えて太平洋に着水したわけだが、早朝から「全国瞬時警報システム」、いわゆる「Jアラート」が発令され、北海道から東北の全県、さらには関東の一部地域の自治体のスピーカーから大音響の警告音が鳴り響いた。

この際に印象的だったのが、ホリエモンこと堀江貴文氏がTwitterに「こんなんで起こすなクソ」と投稿して炎上したことであった(参照:J-CASTニュース)。

これはミサイルによる危機の可能性を否定する態度として安全保障面から褒められた態度ではない。だが当時、実際にこれと似たような「ひたすら冷静に対応しろ」という反応が多くのリベラル系の識者や記者たちから出された。

戦争は「起きる」

こうした反応は、とにかくリスクから目をそむけて軽視させるという意味で、日本にイージス・アショアなどをはじめとする本格的な抑止体制構築への動きの障害にさえなりかねなかった。

だがミサイル発射は震災のような自然災害ではなく、外国勢力による意図的な行動であり、もし日本の本土のどこかに着弾すれば、大きな被害が出る可能性もあった。当該地域の人々にとって、肝を冷やすに十分な「リアル」な事象だったのである。

今回のウクライナにおける戦争は、それ以上のインパクトであった。その直前まで多くの専門家たちやゼレンスキー大統領自身さえ「やるわけがない」と考えていた軍事侵攻が、プーチン大統領によって実行されてしまったからだ。「冷静に対応せよ」という態度が、が仇となってしまったのである。

もちろん欧州正面のウクライナと日本では置かれた状況が違うのだが、ロシアと国境を接していて潜在的な領土問題を抱えているという点では、日本にとってウクライナの状況は決して「他人事」と切り離して考えられるものではない。戦争は起こるし、起こったのだ。

元外交官たちの実効性なき「提言」

第二に、年配の世代の専門家、とりわけ元外交官たちの提言が、ことごとく実効性がなさそうなものばかりであったことだ。

最初から陰謀論にはまっている元駐ウクライナ大使である馬渕睦夫氏のような人物はそもそも論外だが、同じく外務省出身の東郷和彦氏や、本コラムでも一度触れたことのある田中均氏などが繰り返し主張していた「外交交渉」や「即時停戦」という主張は、それが現実的で有効な政策につながるのかを疑わせるのに十分だった。

残念ながら明白になってしまったのは、日本が北朝鮮やロシア、そして中国に対して発揮しているはずの「抑止」というものが、ウクライナとロシアの紛争では破綻していたという冷酷な事実だ。

本気で侵攻しようと覚悟した大国を抑止するための手段は、ウクライナのような小国には残されていなかったのだ。

上記の方々が言うような、外交や国際的な枠組みで戦争を起こさせないようにする努力はたしかに大事であるし、私もその理念には共感する。

ところがブチャの例を見てもわかるように、停戦できたところで占領されている地域では、無抵抗なままの非戦闘員である一般市民が虐殺された。この事実は重い。

ブチャの凄惨な現場を視察し、神妙な面持ちのゼレンスキー大統領(4日、ウクライナ国防省ツイッター

ウクライナの自衛戦争は「正しい」か

第三に、そして最も重要なのが、戦争には「正しい戦いもある」という、日本人にとっては居心地の悪い問題だ。

なぜなら我々と同じ価値観をもつはずの西側諸国の一員(もちろん議論はあるが)とされるウクライナが、プーチン大統領の勝手な思い込みで一方的に侵略されたのである。

これを「アメリカが誘い込んだ」などと断定する陰謀論者や「どっちもどっち」論を展開する論者たちはさておき、少なくともまともな専門家や識者たちは「ロシアが一方的に侵攻した」という点では認識が共通している。

ここで参考になるのが、マイケル・ウォルツァーというプリンストン大学の名誉教授の議論だ。

彼は一般的にリベラル左派としての立場から西洋の伝統的な「正戦論」を論じたことで有名だが、とりわけ国際法の観点ではなく、主に政治哲学のアプローチから、この分野の古典的な名著『正しい戦争と不正な戦争(Just and Unjust Wars)』(風行社)を書いている。

その中で、ウォルツァーは「正しい戦争目的とは、自衛のための戦争だけである」と主張しているのだが、今回の戦争は、ウクライナにとってまさにこの「自衛のための戦争」に当てはまることは疑いのない事実だ。

「戦争は人を殺すが、同時に人を救う」

イギリスの哲学者、ニック・マンスフィールドは、

戦争は社会関係を破壊し、人間の身体を粉々にし、人権を蹂躙するので、我々は当然のように拒否する。しかし我々は社会を維持し、脅かされた生命を保護し、権利を拡大するために、戦争に頼ることもある。戦争は人を殺すが、それと同時に人を救うものなのだ。

と述べて、戦争にはポジティブな面(!)もあるという、我々日本人にとってはあまり馴染みのない分析を行っている。

戦後教育の中で「平和」を学び、絶対に戦争(戦闘)をしてはならないと学んできた我々にとって、このマンスフィールドの「人を救うため」の「ポジティブな戦争」というのは、正面からじっくりと議論しづらいものであることは間違いない。

だがロシアによる戦争がさらにエスカレートしてくる可能性も見えてきたいま、政府と日本国民全体に、この問題を否が応でも考えなければならない瞬間が迫っている。